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於山の方(おやまのかた、天正15年(1587年) - 寛文8年8月24日(1668年9月30日))は、伊達政宗の側室。伊達家家臣で柴田郡船岡邑主の四保宗義(しのおむねよし、後に柴田宗義と改称)の娘で本名は睦子。柴田氏あるいは於山方または阿山方と称す。 ==生涯== 天正15年(1587年)、四保宗義の娘として柴田郡四保城(船岡城)に生まれる。のち伊達政宗の側室となる。 慶長8年(1603年)、伊達家江戸屋敷で政宗の6男(第7御子)・吉松丸(のちの宗信)を産む 。 慶長12年(1607年)、政宗の7男(第8御子)・長松丸(のちの宗高)を産む。 慶長13年(1608年)、仙台城で政宗の第2息女(第9御子)牟宇姫を産む。牟宇姫は元和5年(1619年)に伊達家一門の石川宗敬(伊具郡角田要害主)に嫁ぐ。 寛永13年(1636年)、伊達政宗の没後、於山の方は大奥を下り、御暇を頂戴し仙台城を出て牟宇姫の嫁ぎ先の伊具郡角田邑に移った。牟宇姫は母のために御堂を建て、於山の方はここで余生を過ごした。この建物は八竜性院と号したが、明暦元年(1655年)改築し、妙安寺〔現在その妙安寺はなく、石造りの井戸が残っている〕と号した。 寛文8年(1668年)8月24日、伊具郡角田邑にて没す。享年82。法名は天渓院。墓所は宮城県角田市の長泉寺。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「於山方」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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