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島津 忠剛(しまづ ただたけ)は、江戸時代後期の今和泉島津家第10代当主。第9代薩摩藩主・島津斉宣の七男。母は籌姫(荒田常明の娘)〔斉興実母の鈴木甚五郎勝直の娘が公式上の母〕。天璋院(篤姫)の実父。 == 略歴 == 当初は花岡家の島津久賢の養子に出されていたが、文化11年(1814年)鹿児島に戻されて、文政8年(1825年)今和泉家島津忠喬の養子に入り、天保10年(1839年)家督を継いだ。藩政改革で成果を挙げていた調所広郷の助力を仰いで家中の財政改革に着手し、それに成功している。 正妻は島津久丙(ひさあき)の娘・お幸で、間には第13代将軍徳川家定の正室となった天璋院がいる。没後は子の島津忠冬が継いだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「島津忠剛」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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