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旅行の友(りょこうのとも)は、広島県広島市に本社を置く田中食品が製造販売するふりかけの商品名である。主に西日本で販売されている。 == 誕生までの歴史 == 大正初期に誕生したふりかけのルーツは、3つあり、フタバの「御飯の友」、丸美屋食品工業の「是はうまい」、田中食品の「旅行の友」となっている。しかし、どのふりかけにも共通して言えることは、戦争に持って行く兵糧として開発された軍需物資であり、ふりかけの開発の歴史は日本における近代の戦争の歴史とも重なっている。 以下、「旅行の友」の誕生に至る経緯を記す。 1914年に勃発した第一次世界大戦は、1918年まで続いた。当時の日本は、日英同盟にもとづき、ドイツへ開戦。海軍は太平洋のドイツ領植民地(サイパン、パラオなど)へ侵攻する。 その中で海軍はある問題に直面する。それは、太平洋の南の島国は、気温・湿度が高く、当時の日本の伝統的な保存食である漬物や味噌さえも腐ってしまうのだった。そこで海軍は、当時呉の町で漬物商を営んでいた田中食品へ新しい保存食の開発を要請した。その中で開発されたのが『旅行の友』である。1916年のことだった。 当時の社長は、自分の子どもを戦地へ送っており、「戦地で食べ物に困らないように、少しでも栄養価の高い食べ物をなんとか食べさせてやりたい」との子を思う親心と愛情から工夫に工夫を重ねて作り上げられたのが『旅行の友』である。 当時の商品は、スチール缶で上蓋と本体にそれぞれ穴が開いており、蓋を回してそれぞれの穴を合わせれば、缶の中のふりかけが出る仕組みになっていた。また、デザインは欧亜連絡列車でもあった特急「冨士」の流線型国鉄C55形蒸気機関車が描かれていた。現在復刻版が販売されている。 また当時の日本は、非常に貧しく、すべての庶民が白飯を食べることができないような状態だった。そんな中でふりかけは、鰹節や海苔などの高い材料が使われており、いわば高級品だった。 現在まで使われている、デザイナーの大智浩によるパッケージデザイン(赤・黄・緑の切符をモチーフとした絵)は1954年から使われている。 2010年3月、広島市による「ザ・広島ブランド」に「旅行の友」が認定された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「旅行の友」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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