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日ソ国境紛争 : ウィキペディア日本語版
日ソ国境紛争[にっそこっきょうふんそう]

日ソ国境紛争(にっそこっきょうふんそう)は、1930年代後半を中心に満州で起きた、大日本帝国ソビエト連邦間の国境紛争である。形式的には満州国とソ連、あるいはその衛星国のモンゴル人民共和国の国境が係争地のため、満ソ国境紛争満蒙国境紛争とも呼ばれる。なお、日本及びソ連では一般に紛争にとどまるものととらえているが、モンゴルではノモンハン事件については戦争と評価している。
== 概要 ==
1931年(昭和6年)の満州事変以後、日本とソ連は満州で対峙するようになった。一連の紛争の経過は、小規模紛争期(1934年以前)、中規模紛争期(1935~1936年)、大規模紛争期(1937~1940年)に区分することができる〔「満州国建国(昭和七年)以降満ソ国境紛争に関する概見表」戦史叢書 関東軍(1)、310~311頁。〕。初期には回数も少なく規模も小さかったのが、次第に頻発・大規模化し、張鼓峰事件を経てノモンハン事件で頂点に達した。形式的には満ソ・満蒙紛争であっても、日ソ両軍が直接交戦する事態も発生した。最大のノモンハン事件では、双方合わせて4万4千人以上が死傷する大規模戦闘となった。
その後、1941年(昭和16年)の日ソ中立条約締結により紛争は一応の終結を見た。日本とソ連は、モンゴル人民共和国と満州国を相互に実質的に承認し、紛争の発生件数も減少した紛争低調期に入った。第二次世界大戦後期に独ソ戦がソ連有利となり、対日全面戦争を視野に入れたソ連軍が活動を活発化させるまで、こうした安定状態は続いた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「日ソ国境紛争」の詳細全文を読む



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