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日体大 : ウィキペディア日本語版
日本体育大学[にほんたいいくだいがく]


== 概要 ==

=== 歴史 ===

1891年明治24年)に日高藤吉郎により東京・牛込区原町の成城學校(現・成城中学高等学校)内に設立された「體(体)育會」(翌1892年に「日本體育會」と改称)を起源とする。
1893年(明治26年)日本體育會體操練習所(当初国民体育「社会体育等」の体育指導者養成を目指すがのちに体育教員養成にも幅を広げる)、日本體育會體操學校(当時の略称-体操学校)(「高等科・高等師範科・女子部高等科」)を経て、専門学校令による日本體育専門學校(本科・師範科・女子師範科)となった。体操練習所時代から教員養成には実績があり、全国から体育教員志望者・スポーツ好き・運動能力の高い受験生が殺到した。
幻となった1940年(昭和15年)東京オリンピックには多くの在校生(日本代表選手・競技役員・補助員「ボランティア」等)の参加が見込まれていたが、戦争の勃発は「敵性スポーツ」を悉く禁止に追い込んだ。いつしか「体育」も「軍事教練」に名を変え、在校生の多くが戦地に倒れていった(戦死學生の碑、日體生「戦死400名弱」-学徒の碑が本部世田谷深沢キャンパス西に有る)。この過去を忘れることなく第二次大戦後の1949年(昭和24年)、「民主体育」をスローガンに日本体育大学が出発した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Nippon Sport Science University 」があります。



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