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日光御成街道[にっこうおなりかいどう] 日光御成街道(にっこうおなりかいどう)は、中世以来の鎌倉街道中道(なかつみち)を前身として江戸時代に整備された日光街道の脇街道であり、将軍が日光東照宮へ社参する際に利用された街道である。日本橋を起点として中山道(現・国道17号)を進み、日本橋から一里目の本郷追分(現在の東大農学部正門前の交差点で、ここ付近に本郷追分停留所がある。「駒込追分」とも呼ばれる)で分かれ(中山道が左折、当街道が直進)、幸手宿で日光街道と合流する〔町並みの移り変わり-定点観測-中山道(なかせんどう)周辺1 文京ふるさと歴史館〕〔町並みの移り変わり-定点観測-中山道(なかせんどう)周辺2 文京ふるさと歴史館〕〔町並みの移り変わり-定点観測-中山道(なかせんどう)周辺3 「中山道分間延絵図」 文京ふるさと歴史館〕〔町並みの移り変わり-定点観測-中山道(なかせんどう)周辺6 「本郷通り」 文京ふるさと歴史館〕。「日光御成道(にっこうおなりみち)」とも呼ばれるほか、岩槻藩の参勤交代に使われたことから「岩槻街道(いわつきかいどう)」とも呼ばれる。将軍が日光へ参詣の際には江戸城大手門から出発したという。 == 行程 == 日光御成街道の全行程を示す。通し番号付きが宿場であり、「何番の宿場(宿場町)」であるかを示す。江戸側が上り、日光(幸手)側が下りである。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日光御成街道」の詳細全文を読む
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