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日南郡[にちなん-ぐん] 日南郡(にちなん-ぐん)は現在のベトナム中部に設置された中国古代の行政区画。紀元前2世紀から紀元後2世紀の約400年存続した。語源は、太陽の影が南側にできる地という意である〔『太平御覧』巻4に引く『山海経』逸文〕。
==歴史== 秦代に象郡とされたが、秦末の混乱により南越国が成立しこの地を支配していた。前111年、前漢が南越国を滅ぼすとその版図に南海郡、蒼梧郡、鬱林郡、合浦郡、交趾郡、九真郡、日南郡、珠崖郡、儋耳郡、象郡の10郡を設置し、交州の管轄に置いた。当時の日南郡は下部に朱吾県、比景県、盧容県,西巻県〔『漢書 地理志第八下』〕〔『宋書 志第二十八 州郡四』〕を管轄し、馬援の南征後に新たに象林県〔『南史 巻七十八 列伝第六十八』〕が設置され、1万4千余戸、人口6万9千人を擁していた。新朝が成立すると一時日南亭と改称されたが、後漢により日南郡の名称に戻されている〔。当時は中国支配に対する反乱が相次ぎ多くの官寺が焼き討ちに遭うなどの混乱がたびたび発生している〔『後漢書巻八十六 南蛮西南夷列伝 第七十六』〕。後漢末の西暦192年〔137年説と192年説がある。〕、区連による大規模な反乱が発生、象林県を支配下において林邑国(チャンパ王国)を建国している。 三国時代 (中国)、林邑国は北方に進出、西巻県を併呑、更に南北朝時代になると日南郡全域を支配下に置き日南郡は消滅した。以降日南郡の名称が使用されることはなかった。 605年(大業元年)に隋朝が林邑国支配地域に侵攻して占領し、が設置された。
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Rinan 」があります。
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