翻訳と辞書
Words near each other
・ 日堅
・ 日報
・ 日報政経懇話会
・ 日塩もみじライン
・ 日塩有料道路
・ 日塩龍王峡ライン
・ 日増し
・ 日増しに
・ 日墨
・ 日墨FTA
日墨修好通商条約
・ 日墨学院
・ 日墺
・ 日墺修好通商航海条約
・ 日墺洪修好通商航海条約
・ 日変化
・ 日夏ゆりえ
・ 日夏村
・ 日夏町
・ 日夏百合江


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

日墨修好通商条約 : ウィキペディア日本語版
日墨修好通商条約[にちぼくしゅうこうつうしょうじょうやく]
日墨修好通商条約(にちぼくしゅうこうつうしょうじょうやく)は、1888年明治21年)11月30日日本メキシコの間で締結された条約。日本にとっては初めての(アジア除く。治外法権が無く、関税自主権のある)平等条約であり、メキシコにとってはアジアの国と初めて締結した条約であった。
当時ワシントン在勤の日本全権陸奥宗光と、駐米メキシコ公使ロメロとの間で協議された〔岡崎(2009)p.295〕。
==条約成立の背景==
当時は安政の五カ国条約として、アメリカ日米修好通商条約)、オランダ日蘭修好通商条約)、ロシア日露修好通商条約)、イギリス日英修好通商条約)、フランス日仏修好通商条約)と不平等条約を、李氏朝鮮とは逆不平等条約(日朝修好条規、日本が有利)を結んでおり、平等条約はと結んでいる日清修好条規のみだった〔ただし、日清両国が列強とむすんだ不平等条約を相互に認めあう内容で、たがいに相手国の領事裁判権を認めあっており、完全に対等な日墨修好通商条約とは異なっていた。〕。
日本政府は治外法権領事裁判権)、関税自主権の問題解決の足がかりとして、アジア以外の国の1つとまず対等条約を結び、それを前例として欧米諸国と再交渉することを考えていた。日本政府が白羽の矢を立てたのは、意外にも鎖国以前にフィリピン総督を介して日本と外交実績のあるメキシコだった。ちょうどメキシコも、東アジアとの貿易のために日本または清国と交流を持ちたいと思っていた矢先のことだった。
この条約締結後、1891年(明治24年)に日墨両国公使を交換、メキシコ人への内地開放が認められた。1897年(明治30年)にはメキシコへの日本人移民が行われた。
この平等条約締結の礼として、明治政府は1898年(明治31年)に在外公館の用地をメキシコに提供した。今日メキシコの駐日大使館永田町にあるのは、これに由来する。永田町の一戸建て大使館というのは他に例がない。
1924年大正13年)10月に廃棄された〔臼井(1979)p.493〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「日墨修好通商条約」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.