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『日曜日だョ!ドリフターズ!!』(にちようびだョ ドリフターズ)は、1971年4月25日から同年10月17日まで日本テレビ系列局で放送されていたバラエティ番組である。日本テレビと渡辺プロダクションの共同製作〔外部リンク(放送ライブラリー)を参照。〕。全26回〔。放送時間は毎週日曜 19:00 - 19:56 (日本標準時)。 資料によっては「日曜日だヨ・ドリフターズ!!」〔放送当時の新聞番組表(参考:『ザ・テレビ欄 大阪版』P126に縮刷掲載された、『報知新聞』大阪版1971年10月10日付に掲載のよみうりテレビ番組表)。〕「日曜日だョ・ドリフターズ!!」〔放送当時の新聞番組表(参考:『ザ・テレビ欄 1954〜1974』P186に縮刷掲載された、『報知新聞』東京版1971年10月10日付に掲載の日本テレビ番組表)。〕〔『ザ・テレビ欄 大阪版』P126欄外の2行コラム。〕「日曜日だよドリフターズ」〔と表記される場合もある。 == 概要 == 渡辺プロが強引にTBSの『8時だョ!全員集合』を一時休止してまで製作したと言われている〔、ザ・ドリフターズがメインの公開生番組である。 『全員集合』のプロデューサーだった居作昌果によると、当時の渡辺プロ社長である渡辺晋から「全員集合は1971年3月いっぱいで一旦休止。4月から半年間だけ、ドリフは日テレで1時間の生放送(→本番組)、TBSの土曜夜8時はクレイジー・キャッツ(→『8時だョ!出発進行』)で行く」との通告があった際、TBS内部は居作曰く「蜂の巣をつついたような大騒動」〔『8時だョ!全員集合伝説』(文庫版)P157〕になったという。だが結局は、居作の「日テレで新番組をやっても、絶対に『全員集合』にはなりません。ドリフが出ているだけで高視聴率になるほど世の中甘くはない。(ドリフがいないのは)たった半年じゃないですか。『全員集合』は、その先何年でも頑張れるはずです」という意見を編成局長が受け入れ〔『8時だョ!全員集合伝説』(文庫版)P161〕、『全員集合』の半年間休止が決定。本番組の開始に至った。 『全員集合』の二番煎じと評され〔、さらに大掛かりなセットやバンド演奏による生BGMなど制作費が大幅に掛かることが日本テレビの幹部に嫌われ〔『8時だョ!全員集合の作り方』(山田満郎著・双葉社刊) p.37 「当時の日本テレビ幹部がこういったと言うんです。「こんなに金のかかる番組、TBSに返してしまえ」って。」〕、結局当初の予定通りの半年間の放送に留まり〔、ドリフターズはTBSで『全員集合』を再開することになった。 本番組のフォーマットは『全員集合』とほぼ類似。6つのコーナーで構成され〔、間にゲスト歌手が歌を披露した〔。セットは後に同局の『ハッチャキ!マチャアキ!!』や『金曜10時!うわさのチャンネル!!』に流用された。 冒頭は次の掛け声で始まる。 :(いかりや長介)「今日は何曜日?」 :(観客)「日曜日!!」 :(いかりや)「じゃあ、今何時?」 :(観客)「7時!!」 :(いかりや)「行こうかーッ!!」 :(観客)「行こうーッ!!」 テーマソングは、オープニング・エンディングともに軍国歌謡の『月月火水木金金』の替え歌(同局の『ドリフのドパンチ!学園』のエンディングテーマや後年のフジテレビ『ドリフ大爆笑』の初期オープニングテーマにも、同曲の替え歌が使われた)。なおエンディングでは、イントロ部と間奏部に「ドリフのビバノン音頭」(いい湯だな)のイントロ部を挿入し、加藤茶が『全員集合』同様、子供の視聴者に「宿題やれよ!」「冷たい物食べ過ぎるなよ!」などと呼び掛けた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日曜日だョ!ドリフターズ!!」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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