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日本SF作家クラブ(にほんSFさっかクラブ、SFWJ : Science Fiction and Fantasy Writers of Japan)は、1963年発足の日本のSF作家・翻訳者や評論家、編集者による親睦団体である。 小松左京、星新一、筒井康隆ら日本SF界の重鎮はほとんど所属し、また物故者〔会員名簿の「物故者」参照。http://sfwj.jp/members/〕も生前に所属していた。 1963年の設立時の英名は、Japan SF Writers Association (略称JSFWA)で〔福島正実『未踏の時代』早川書房、1977年、79頁。〕SF作家や科学ライターのための親睦会だったが、1999年の総会でアメリカSFファンタジー作家協会(略称SFWA)に倣って、英語表記に「Fantasy」を入れることを決定〔ひかわ玲子「ファンタジー」『SF入門』日本SF作家クラブ編著、早川書房、2001年、121頁。〕。以後、SF作家のみならず、ファンタジーや推理小説を主な活躍の舞台とする小説家も入会するようになった。その初期から手塚治虫など漫画家にも門戸を開いており、いしかわじゅんや京極夏彦や神坂一らもメンバーに名を連ねている。 1980年より「日本SF大賞」を主催している。かつて主催していた「日本SF新人賞」「日本SF評論賞」の2賞は休止。 == 設立の経緯 == 1963年3月5日、新宿の台湾料理屋山珍居において、石川喬司・小松左京・川村哲郎(筆名、中上守)・斎藤守弘・斎藤伯好・半村良・福島正実・星新一・森優・光瀬龍・矢野徹の11人のSF関係者によって発足した。「日本SF作家クラブ」という名称は、江戸川乱歩が創設した推理作家による「日本探偵作家クラブ」(現・日本推理作家協会)がヒントになったものとみられる〔巽孝之「日本SF作家クラブ気質考」『S-Fマガジン』2013年1月号、pp.10-18〕。この時の会合の様子は福島正実によってオープンリールに録音されている〔『ETV特集 21世紀を夢みた日々 ~日本SFの50年~』NHK教育、2007年10月21日放送。〕。 当時『SFマガジン』編集長だった福島正実の音頭取りによる設立で、福島が意図していたのは、純文学への対抗意識とプロによるSF界のリードだったと言われる〔小松左京『SFへの遺言』光文社、1997年、113頁。〕〔小松左京『SF魂』新潮社・新潮新書、2006年、71頁。〕〔最相葉月『星新一 1001話をつくった人』新潮社、2007年、311ー319頁。〕。 発足当時の連絡事務所は『SFマガジン』を発行する早川書房に置き〔『未踏の時代』79頁。〕、実質的な会長は福島正実だったが、公的な代表として設置されていたのは事務局長で、初代事務局長は半村良、次いで大伴昌司、高斎正が歴任した〔 。一説には、会員であるSF作家を国家に見立て、事務局長は国際連合事務総長を擬制したものであったという〔2013年の終わりに際して(その2) - 瀬名NEWS・2013年12月29日〕。福島死去後の1977年から会長の地位が設立され、初代会長には星新一が就任した〔。 酔っ払うと珍妙な言動をする星新一により、入会資格に「死んだ人はダメ」「宇宙人はダメ」「馬はダメ」〔発足人の中に競馬好きの石川喬司がいたため〕「星新一(178cm)より背の高い人はダメ」〔のちに身長186cm の鏡明の入会により改正を余儀なくされた〕「筒井康隆よりハンサムな人(定義不明)はダメ」「小松左京(自称85kg)より重い人はダメ」などの珍妙な条文が盛り込まれた〔小松左京「落語とSFの意外な関係 」asahi.com 2006年8月11日〕。一方で、「女性はOK」「小説家以外もOK」と門戸が広く、後に、漫画家や映像関係などヴィジュアル関連の人物が入会するのを見越した先見性があった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日本SF作家クラブ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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