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日本の便所(にほんのべんじょ)では日本の便所について述べる。 日本の便所は大きく分けて3つに分類される。そのうち最も古くからあるものはしゃがんで用を足すもので、和式(わしき)と呼ばれる。第二次世界大戦後には西ヨーロッパから座って用を足す便器(洋式(ようしき)と呼ばれている)や男性用小便器が輸入され、一般的になった。 また、これらの便器には、それぞれ水が流れるタイプと流れないタイプがあり、大便器に関しては水が流れるものは水洗式便所、流れないものは落下式便所(ボットン便所)と呼ばれる。簡易水洗式便所やトンネル式便所はこの中間型で、トンネル式便所は水洗式便所ではあるが落下式便所の範疇に、簡易水洗式便所は汲み取り式便所ではあるが水洗式便所に含めることもできる。 == 歴史 == 日本人が便所を使い始めた正確な時期は不明であるが、古くから便所と見られる構造が遺跡によって見ることができる。考古学で糞石調査がおこなわれ、各時代人の食性調査が判明してきている。 弥生時代の遺跡には下水道のような構造が見られることから、遅くともこの時代には排泄専門の施設として「便所」が成立したとされる。 『古事記』『日本書紀』の記述には、古墳時代の皇族が厠に入ったところを狙われる例がいくつかあり、武器を持たずに入り、出たところで捕えられたり、墨江仲皇子の例では、隼人である曽婆訶理に矛で暗殺されたことからも、視覚的に死角となっていたことがわかる。 平安時代、貴族は樋箱というおまるを使用していた。また、餓鬼草紙などの絵巻物には野外で糞便する光景が描かれているように庶民は便所を使用しなかった。後に穴を掘って作る汲み取り式便所が登場し、設置が簡単であることから長い間主流となった。しかし排泄物を目視して健康状態を確認することが難しいことから、皇族や高い身分の武士が用いる便所は引き出し式になっており、あとで健康を管理する者が確認できるようになっていた。 鎌倉時代-戦国時代、京都の様な都市部や、京都に倣った朝倉氏一乗谷遺跡の様な都市部では厠が一般化し、各家庭に厠が付いていた事が知られている。 この頃の厠は、武家では襲撃に備えて人間の正面に扉が、それ以外では背中側に扉が作られていた。 江戸時代においては、農村部で大小便(し尿)を農作物を栽培する際の肥料としても使うようになり、高価で取引されるようになった。そこで江戸、京都、大坂など人口集積地の共同住宅である長屋などでは、共同便所が作られ収集し商売するものがあらわれた。 加賀百万石(金沢)では家を建てる際やトイレの工事を行う際に、素焼きした夫婦一対の人形を「厠の神さん」として地中に埋める習わしが今も残っている。 農村部では、居住空間である母屋とは別に、独立して便所が建てられる(母屋には便所はないので、一度外へ出ないと便所に行けない)形態が戦後まで行われていた。 この頃の便器は大型の瓶であり、その上に大きな木枠、木の板を乗せ用を足す事が多かった。 また、小さな川の上に便所を設置することもあり、厠(かわや)の語源になったとも言われている。 西澤一鳳の『皇都午睡』三には、「雪隠に板囲ひ多くもと下に壺をふせし所はなく大方船板にて拵へし箱也上り段低く戸は肘壺を打しはなく其上厠へ這入り居る者外よりよく見える計裙の方少し隠るゝ計也小便所稀にあれ共只はちきの板計にて地内へしみこますなれは其辺に散乱して嗅気甚し百姓下屎は取りに来れとも小便は取りに来らすそれゆへ(仮名づかいは ゑ とあるべきところ。原文のまま)自然と垂れ流し也故に男子は往来の透を見て格子先あるひは裏口とおほしき所なとへする事也それも(鳥居を書きたり)此所へ小便無用の張札有つてはつみし折は甚だ迷惑する事也」とある。 また、「大坂にても適々往来の小便桶へ婦人の小便する事老婆幼稚の者は人目も恥ねと若き女の小便するふりは余り見るへき姿にあらす江戸は下女に至る迄も小便たこなけれはよん所なくかはしらねと皆厠へ行くゆへ(仮名づかいは ゑ とあるべきところ。原文のまま)足だけは東都の女の方勝公事也」という。 また、琉球王国などにおいては中国と同じ方式の便所の穴の下でウワー(ブタ)を飼い、餌として直接供給する豚便所も存在した。 大正時代から昭和にかけて、トイレ後の手洗いがそれまでの水盆式手水(ちょうず)から、軒下につるされた陶器、ブリキ、ホーロー製等の手水を使用する形式になった。「手水」は、トイレに行くを意味する暗喩「お手水に行く」や「ご不浄」、「御手洗」等の現代にも使用される言葉として残っている。 農業へのし尿の利用は、日本を占領した連合国軍のアメリカ軍兵士により持ち込まれたサラダ等野菜の生食の習慣のため、回虫など寄生虫感染防止という衛生上の理由が生じた事や、化学肥料など他の肥料の普及などから利用価値が低下し、高度経済成長期には取引は行われなくなった。そのため、汲み取ったし尿は周辺の海域に投棄されることが多かったが、国際条約によってし尿の海洋投棄が禁止されることになり、下水道の整備や浄化槽の設置に対する補助金制度の拡充などの施策が進められている。 下水道に関しては、最古の下水が弥生時代より建造されており、これらは便所の排水の役割を果たしていたものと考えられている。安土桃山時代には豊臣秀吉によって太閤下水と呼ばれる設備が大阪城付近に造られ、現在でも使用されている。1884年に江戸(現在の東京都)の神田では煉瓦や陶器を使用した設備が造られたが、1923年の関東大震災で壊滅的な被害を受けた。その後全国で下水道の整備が進められるようになり、2000年の地点では日本の人口の約60%に普及している。まだ普及していない地域においては浄化槽の設置に補助金を出しているところもある。 2010年代、日本国外からの旅行者に温水洗浄便座が人気となっている〔政府、「トイレ大国日本」を積極アピールへ NYT紙も熱弁、温水洗浄便座のすごさ - ニュースフィア、2015年5月17日〕。2020年夏の東京オリンピック期間中には東京への来訪者が急増し、混雑エリアでは仮設トイレで対応する可能性も指摘される〔東京五輪 25万人がやってくる!トイレは足りる? - スポニチ、2013年11月18日〕。2015年5月25日、内閣府の有識者会議「暮らしの質」向上検討会は、高機能トイレの世界普及を目指す提言「ジャパン・トイレ・チャレンジ」をまとめた〔「日本のトイレを海外へ」 おもてなし文化を発信…内閣府有識者委が提言 - 産経ニュース 2015年5月25日〕〔「私をトイレ大臣と呼んで」 有村女性担当相が公共トイレの快適アップにやる気満々 - 産経ニュース 2015年8月24日〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日本の便所」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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