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この項目で扱う日本の分割統治計画(にほんのぶんかつとうちけいかく)は、本土決戦後の日本本土を分断し連合国が分割統治しようとした計画案の一つとしてアメリカ国立公文書記録管理局に保存されている計画書〔テレビ朝日「トップ・シークレット 救われた日本の分割占領」1985年4月30日放送〕〔TBSテレビ「スーパーフライデー」特別企画「2000年の証言『天皇家そして妻たち 運命の岐路』」2000年〕に付いて扱ったものであり、実際に行われた分割統治の実施計画に付いては、本項の対象からは除外されている(その様に誰かが編集している)。 == 概要 == === 実際の歴史 === 当時、日本の領土であった地域を連合国が「獲得」し以下の通り分割統治を実施した。 * ソ連 * 南樺太(ポーツマス条約で獲得、内地、1943年3月31日までは外地) * 千島列島(樺太・千島交換条約で獲得、内地) * 北方四島(北方領土問題) * 朝鮮北緯38度線以北(日韓併合条約で獲得、外地) * 関東州(旅順・大連)(ポーツマス条約で獲得、租借地。1950年代に中華民国ではなく中華人民共和国へ返還) * アメリカ * 東北地方、関東地方、中部地方、近畿地方、九州地方(古来の領土、内地) * 北海道(渡島国およびアイヌの歴史、内地) * 沖縄(琉球処分、内地) * 奄美(連合国は沖縄の一部と解釈) * 旧十島村は、軍政下に置かれた島(現十島村)とそれ以外の島(現三島村)に分割された。 * 小笠原(明治に領有宣言、内地) * 委任統治領南洋群島(ヴェルサイユ条約で獲得) * 朝鮮北緯38度線以南(日韓併合条約で獲得、外地) * 中華民国 * 台湾島(下関条約で獲得、外地) * イギリス * 中国地方、四国地方(古来の領土、内地) これらは、1945年(昭和20年)の日本降伏後に速やかに実行された。またソ連は北方四島への違法占拠を続けた。 これら占領地域には、日本が内地とした地域もあり、その点で言えば、日本領土は史実でも分割されている。しかし、上記以外の日本本土を構成する北海道、本州、四国、九州、沖縄及び付属島嶼は、連合国軍最高司令官総司令部(通称GHQ)によって1952年(昭和27年)までアメリカ軍とイギリス軍(オーストラリア軍やニュージーランド軍などを含むイギリス連邦占領軍)のみによる占領統治下におかれた。本計画では、これらの本土地域もソ連軍と中華民国軍にも分割することになっており、この項目で指す「分割」とはこの計画を指している。 日本分割占領案については、早い段階から連合軍将兵にも伝わっており、中華民国軍の兵士の証言では、ルーズベルトが中華民国軍を日本占領統治に参加させることを決定したとの話が兵士たちの間に伝わると、多くの中華民国軍兵士がこれを喜び、日本に上陸した際にどのような行動をとるかについて話し合ったという〔NHKハイビジョン特集「歴史から消された兵士たち 〜中国「抗日老兵」の歳月〜」より〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日本の分割統治計画」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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