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日本の客車史 : ウィキペディア日本語版
日本の客車史[にほんのきゃくしゃし]
日本の客車史(にほんのきゃくしゃし)では、日本の鉄道における客車の歴史について述べる。本項目では、時代を大きく次の7つに区分して概説する〔第6期までは、青木栄一1993の区分に従う。〕。個々の客車については、各系列、形式等の項目に詳細を譲り、客車全体の発達と歴史的背景に重点を置いて記述する。
*第1期:1872 - 1887年ごろ、創業時代。
*第2期:1887 - 1910年ごろ、鉄道網発展時代。
*第3期:1910 - 1927年ごろ、基本形以後。
*第4期:1927 - 1955年ごろ、鋼製客車の時代。
*第5期:1955 - 1969年ごろ、軽量客車以後。
*第6期:1969 - 1987年ごろ、12系以後。
*第7期:1987年以降、国鉄分割民営化以降。
== 創業時代 ==

1872年の日本の鉄道開業に際しては、客車は全てイギリスから輸入された。全て2軸車で、同年末で58両〔「線路里程停車場及諸車現在表」『工部省沿革報告』1889年 (国会図書館デジタルコレクション)〕。内訳は上等車10両(定員18人)、中等車14両(定員22人)、下等車26両(定員36人)〔下層階級の人は鉄道を利用しないと予想したため下等車を用意しなかったがやはり必要になったため中等車から改造したと、官設鉄道新橋工場の汽車監察方であったフランシス・ヘンリー・トレビシックが英国の雑誌に寄稿している。青木1994 pp.265-266〕〔定員は『日本鉄道史 上編』大正10年 (国会図書館デジタルコレクション)より。なお下等客車の定員30人は最古客車の定員〕、緩急車8両である。『日本鉄道史』には全長5410mmの区分席形の超小形客車が「最古客車図」 として載せられているが、実際にはより大きい車体の両端にオープンデッキの出入り口がある客車が使われ、この図のタイプは大阪・神戸間が開業したときに使用されたことが判明している〔青木 1968。〕。早期に国産化が計られ、1875年には神戸工場で完成。当時の客車は台車や台枠等は鉄製で輸入に頼ったが、木造の車体の工作は練達の日本人工員によってマスターされた。また最初のボギー客車は1875年から1877年に輸入され、少なくとも1両の車体は神戸工場で製作された。10名用の区分席を10組設けた下等車で後のコハ6500形である〔同形車は計9両。青木1994 p.279、『客車略図 下巻』 (国立国会図書館デジタルコレクション)1910年頃の図面、なお廃車後柏駅で倉庫として1959年まで残っていた。〕。ただし国産は新橋、神戸両工場のみにとどまり、官設鉄道日本鉄道以外には供給できず、他の鉄道の客車は輸入に頼った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「日本の客車史」の詳細全文を読む



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