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宗教法人日本イスラム教団は、1974年から1980年代にかけて活動した宗教団体である。 == 沿革 == 1974年12月29日、医師で実業家の二木秀雄が、代々木にあるモスクで入信式をあげ〔二木秀雄 『自由』23巻7号、『自由』編集委員会編、1981年7月、pp.61-68〕、東京都渋谷区に日本イスラム教団を創設した。1975年、宗教法人として認証された〔山折哲雄監修、日本宗教史年表編纂委員会編『日本宗教史年表』河出書房新社、2004年2月、p.642〕。 1979年4月12日、エルサレムをとりあげた日本放送協会(NHK)のテレビ番組に抗議した〔山折哲雄監修、日本宗教史年表編纂委員会編『日本宗教史年表』河出書房新社、2004年2月、p.649。(なお、1979年4月2日・6日、NHK特集「聖地からの日本人論-山本七平イスラエルをゆく-」が放送されている。--NHK特集 放送番組全記録一覧 1979年度 )〕。 1981年6月20日、自費出版で『円柱亭日記 町医者”円柱”と闘う』(二木秀雄監修、さきたま出版会製作)を発行している〔書籍名 円柱亭日記-町医者“円柱”と闘う 自費出版図書館〕。この頃信者数5万人に達した〔。 検察官出身の弁護士安倍治夫が一時期専務理事を務めた〔安倍治夫『For beginnersシリーズ イスラム教』現代書館、1986年1月、奥付〕。また、1986年10月30日-11月1日、崇教真光傘下の陽光文明研究所が主催して開かれた第1回陽光文明国際会議宗教部会に、専務理事仲村庄司が参加している 〔陽光文明国際会議 開催の歩み 〕〔第1回 陽光文明国際会議 〕。 「大乗イスラーム」を唱え、多くの改宗者を生んだ。他のムスリム団体と良好な関係を結べず、また二木の経営する診療所の不正経理問題が発生。1980年代に実質的に解散し活動を休止、関係者の多くが消息不明となっている〔小村明子 「日本とイスラームが出会うとき」2015年、現代書館 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日本イスラム教団」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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