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日本シリーズ初の退場事件(にっぽんシリーズはつのたいじょうじけん)とは、1969年の日本シリーズ第4戦(読売ジャイアンツ - 阪急ブレーブス、10月30日後楽園球場)で起こったクロスプレイの判定をめぐるトラブル及び関連する経緯をいう。 高い水準の技術がぶつかりあった場面であり、この試合を含めたシリーズ全体の行方に大きな影響を及ぼした〔『プロ野球70年史』は、「巨人の連覇を後押ししたシリーズ史上初の退場劇」とした。〕。さらに日本シリーズでは史上初で、現在でも危険球退場を除けば唯一である退場処分が下され、後述するビデオの技術的問題、ビデオ判定導入の是非等、日本では野球ファンに限らず大きな注目を集め、アニメ「巨人の星」第148話「グラウンドの孤独者」の中で描かれるなど〔なお、この話の中には岡田の妻と「かおり」という娘が登場する。また、舞台は日米野球のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦で、退場者もジャイアンツの捕手という設定だった。〕、永く語り継がれている〔日本が沸いたあの時 スポーツ戦後60年 第4集 だから負けなかった 〜巨人 栄光のV9ロード〜 取材現場から - スポーツ大陸(NHK) 〕。 == プレー == 4回裏、B3対0Gと3点をリードされた巨人は、無死一・三塁という好機を迎えた。 |class="" | ここで巨人は、一塁走者王が二塁に向けてスタートをきり、阪急の捕手岡村浩二が二塁に送球したのに対して、三塁走者土井が本塁突入を図るという、いわゆる重盗(ディレードダブルスチール)を試みた。このとき、打者長嶋茂雄は三振に倒れ、送球は、二塁手山口富士雄が手前でカットして本塁に返球した。この返球は、本塁上に腰を落とすようにしてブロックしている岡村のミットにショートバウンドで納まった〔【10月30日】1969年(昭44) カメラは見ていた…ブロック名人岡村浩二の股下から左足 日めくりプロ野球-2008年10月 スポーツニッポン 2008年10月30日、2013年3月22日閲覧〕。 この返球を捕らんとしている岡村のミットの下の本塁ベースに突入した土井は、岡村に跳ね飛ばされたように見えた。しかし実際には土井の左足が岡村のブロックの隙間から本塁を踏んでおり(土井によれば、その後に自分から足を抜いたという〔10月31日付読売新聞11面〕)、球審の岡田功は、これをセーフと判定した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日本シリーズ初の退場事件」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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