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特定非営利活動法人 日本ブラインドゴルフ振興協会(にほんブラインドゴルフしんこうきょうかい、、略称:JBGA)は、視覚障害者及び健常者を対象とし、ブラインドゴルフ(視覚障害者ゴルフ、盲人ゴルフ)を通した国際的なスポーツ振興や社会福祉支援を目的とする特定非営利活動法人〔東京ボランティアセンター 〕。 == 沿革 == *1988年に半田晴久がオーストラリアで視覚障害者のゴルファーと知り合い、ブラインドゴルフを知る。日本に戻った半田がブラインドゴルフを日本に紹介すると共に、3人の日本の視覚障害者を募り、同年5月に「ブラインドゴルフ倶楽部」が発足した。その月より東京都のゴルフ練習場で練習を開始し、7月には千葉廣済堂カントリー倶楽部で、初のコースでの練習を行う。同年10月には「ブラインドゴルフ・オーストラリア・ワールドオープン」(パース)に4人を選手として派遣する。 *1990年9月、第1回ブラインドゴルフ・ワールドチャンピオンシップに、招待選手を派遣し、ベスト10に入賞する。 *1990年10月、第3回ブラインドゴルフ・オーストラリア・ワールドオープン」に派遣した選手が、女子B1の部で優勝を果たす。 *1991年4月、「日本盲人ゴルフ協会」(略称JBGA)が発足。関西でも5人のゴルファーが加わり、関東以外の練習拠点もできる。 *1992年1月、アメリカの「リーダードッククラシック」に派遣された選手がB1クラスで優勝を果たす。日本人がアメリカ開催の大会に出場したのは初めてである。 *1993年10月、ブラインドゴルフ・オーストラリア・チャンピオンシップで、派遣選手がB1クラス優勝、プロアマ大会で優勝を果たす。 *1994年8月、日本で初めての正式なブラインドゴルフ大会となる「ブラインドゴルフ・ジャパンオープン・チャンピオンシップ」を多摩市桜ヶ丘カントリークラブで主催する。派遣選手がB1大会で優勝を果たす。 *1995年6月、「阪神淡路大震災救援ブラインドゴルフチャリティーコンペ」を兵庫県花屋敷ゴルフクラブで主催し、参加費の一部を朝日放送を通じて、阪神淡路大震災義援金として寄付する。 *1995年9月、ブラインドゴルフ・ジャパンオープン・チャンピオンシップと同時開催で「ジャパンオープン記念チャリティコンペ」が開催され、収益金を「岐阜視覚障害者福祉協会」に寄付する。 *1996年7月、「日本盲人ゴルフ振興協会」(略称JBGA)と改称。 *1997年4月、世界ブラインドゴルフ協会設立前の「世界ブラインドゴルファーズ会議」がパースで開催され、日本のブラインドゴルフ団体の代表として参加する。 *1999年5月、駐日フランス大使館の要請により、フランス人の視覚障害者の視察団が来日した際にブラインドゴルフを紹介し、フランス人として初のブラインドゴルフを体験する機会を提供する。 *1999年11月、世界ブラインドゴルフ協会理事会より、1998年の同団体発足以前よりの支援・協力等の貢献について、JBGAおよび名誉会長の半田が感謝状を授与〔世界ブラインドゴルフ協会は半田が各国のブラインドゴルフ団体に呼びかけて設立された団体でありJBGAも参加している。また、半田は同団体の初代総裁をつとめ、現在は名誉総裁である。〕。 *2000年6月、特定非営利活動法人に認証される。 *2004年、「日本ブラインドゴルフ振興協会」に改称。東京都杉並区に本部を移す。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日本ブラインドゴルフ振興協会」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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