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日本三大悪妖怪(にほんさんだいあくようかい)とは、日本に数多伝わる妖怪達のなかでも名実共に上位である三体を指す呼称。 なお、日本三大悪妖怪ではなく「日本三大妖怪」と言う場合には、鬼・天狗・河童を指すことが多い。 == 三大悪妖怪 == * (鬼)京の都を荒らし回った鬼の頭領。源頼光とその四天王に討伐された。 * (白面金毛九尾の狐)鳥羽上皇に寵愛され権勢を振るった。正体がばれると討伐軍に敗れ、殺生石と化した。 * (大天狗)保元の乱に敗れた崇徳上皇が讃岐に流され、失意のうちに没し怨霊となった。祟りを畏れられた一方で、神としても祭られる。 小松和彦は、中世の日本で恐れられた三妖怪として、酒呑童子、玉藻前に加え、当時の日本で酒呑童子と並び称された鬼・大嶽丸の3つを挙げている。(ただし「三大悪妖怪」ではなく、中世の「三大妖怪」としている)これは酒呑童子、大嶽丸の首、那須野の妖狐の遺骸が宇治の宝蔵に収められたと伝えられているからである。言い換えれば、中世の退治された数ある妖怪の内でこの三妖怪は宝蔵主の武力・知力・神仏の加護を示すために、宇治の宝蔵に収める価値のあるほどの大妖怪だったという解釈である。 ただし、この解釈には矛盾もある。小松和彦氏は同書(日本妖怪異聞録)において、「妖怪の命を奪う事」と命を奪うまでに至らず「退散させる事」の違いと重要性を説いており(P.200)、要約すると妖怪の命を奪えず退散させるにとどまるという事は退治する側の呪力不足ということを説いているわけだが、中世には手を尽くしても命を奪う事のできなかった妖怪も存在する。特に崇徳上皇の天狗に至っては退治はおろか退散させることも叶わず、同書P.110には鬼信仰よりもさらに恐ろしいものとして天狗信仰が存在していたことを理解し解説している。それにもかかわらず、何故宇治の宝蔵に収められたという理由だけで討伐に成功した酒呑童子、大嶽丸、那須野の妖狐を三大妖怪としたのかは謎である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日本三大悪妖怪」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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