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日本人論(にほんじんろん)とは、日本人について論じる論、著作、報告のこと。 ==概要== 日本人論の起源としては古くは安土桃山時代や江戸時代の宣教師の母国への報告書や、海難・漂流体験からロシアやカナダなどを見る経験を得た日本人漁師や船頭の経験譚が挙げられる。幕末から明治にかけては日本からの海外視察団による報告や、来日外国人による文化人類学的な観察記録やエッセイなどに日本人論を見ることができる。 日清・日露戦争、そして二度の世界大戦を経て、海外で日本人の戦略や戦術、道義心、忠君愛国の背景にあるものへの関心が深まると、ルース・ベネディクトの『菊と刀』やオイゲン・ヘリゲルの『弓と禅』といった日本研究が進んだ。 第二次世界大戦後には、日本経済の驚異的な躍進から再びその成功を支える社会的基盤に対する関心が高まって、様々な日本人論が著されることになる。日本人を包括的に均一な集団としてとらえ、外国・異文化との比較を通してその独自性を論じるところを共通項とする論が多い。ベストセラーもいくつか出るほどの人気分野となっている。このような現象は日本を除いて世界にあまり類がない、という見方をする論者は、日本が「辺境」であるからと主張している〔『日本辺境論』p.22〕。 ただ、トルコ、韓国、マレーシアなど他の国でも自民族論は盛んである。よって日本人論が特殊であるという考えそのものが他国でも見られる自民族論の典型ともいえる。 文化人類学、社会学的研究としての日本人論もある一方で、民族主義的心情に基づく日本人自身による自国、自民族の特殊性を殊更強調するように書いた論考も数多く出版されている。そのため、Peter N. Dale(1986年)やハルミ・ベフ(1987年)〔『「日本文化論」の変容』 pp.134 - 165〕、吉野耕作(1992年)ほか、日本人論を文化的ナショナリズムの現れの一形態として批判的に研究する学者もいる〔『「日本文化論」の変容』 pp.134 - 165〕。小谷野敦は、学問的ではないから、アカデミズムの世界では日本文化論はあまり生み出されていないとする〔『日本文化論のインチキ』 pp.223 - 224〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日本人論」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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