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日本共産主義者団(にほんきょうさんしゅぎしゃだん)は、1930年代後半に活動した日本の政治団体。日本共産党の中央委員会が壊滅したあと、関西地方を中心に活動した。 1935年、袴田里見の検挙によって、日本共産党の中央委員会は機能を停止した。そのため、各地の共産党員は、組織の再建のために独自の活動をはじめることを余儀なくされた。 その中で、出獄した春日庄次郎は、関西地方で党の再建をはかった。春日は妻の安賀君子とともに、点在している党員と連絡をつけ、1937年12月5日、兵庫県尼崎市で日本共産主義者団の結成にこぎつけた。このときのメンバーは、春日・安賀のほか、竹中恒三郎、横田甚太郎、原全五、高江洲重正の6名だった。 団は、共産党の再建をめざしたので、非合法の活動を余儀なくされたが、機関紙として『嵐をついて』を発行し、各地に再建をよびかけた。しかし、活動は当局の知るところとなり、1938年8月から9月にかけて主要メンバーが検挙され、活動は終了した。 == 参考文献 == 広井暢子『女性革命家たちの生涯』(新日本出版社、1989年)の「安賀君子」の項目 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日本共産主義者団」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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