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日本共産党特殊財政部(にほんきょうさんとうとくしゅざいせいぶ)は、日本共産党内部の所感派(1950年代に非合法的な地下活動をすすめていた)が設けたとされる資金獲得部署のことである。別名「トラック部隊」。 日本共産党の戦後史に詳しい増山太助の著書によれば、「トラック部隊」の名称の由来は、佐世保鎮守府関連の施設にトラックで乗り付けて、戦後不要になった大量の軍需品を運び出して売りさばく窃盗団だという〔増山太助著『戦後期左翼人士群像』(つげ書房新社、2000年) 〕。 ==記録== 「トラック部隊」なる名称が新聞記事として残っている代表的な動きとして、1957年8月22日の一斉捜索・摘発〔「水上勉の東京を歩く 戦後編-3- 初版2004年9月11日 当時の国会でも「トラック部隊事件」については、多少触れられている。しかし、自由民主党もこの問題について積極的に議論した形跡は見当たらず、警備公安当局も、現在捜査中と国会に報告したのみで終わっている。 最初に「トラック部隊事件」が国会に報告されたのは、1957年11月14日の参議院地方行政委員会で、当時の山口喜雄警察庁警備部長が、警察行政の報告のなかで、「いわゆる日本共産党関係のトラック部隊の検挙というものが現在行われておる」「この事件は、中小企業から資金を収奪をしてそれを党の活動に回したのではないかという容疑をもって、現在捜査中」と報告した。しかし、それについての質疑は与党側からも行われなかった〔第27回国会 - 参議院地方行政委員会 - 4号 1957年11月14日 〕。 また、1958年4月25日の衆議院法務委員会で日本共産党の志賀義雄が「トラック部隊事件」の他に「官庁スパイ事件」、「人民艦隊事件」などをあげて、「選挙前にこういうばかげた検挙をやって共産党にけちをつける」と批判している〔第28回国会 - 衆議院法務委員会 30号 1958年4月25日 〕。 さらに、後に黒い霧事件で失脚した自由民主党の田中彰治代議士が1960年2月5日の第34回国会の衆議院決算委員会で、「あるガス会社」に関して、共産党のトラック部隊と関係があるかのような発言をしているが、具体的な資料などの提示もなく政府側とのその後の質疑でも継続したやり取りに至っていない〔第34回国会・衆議院決算委員会 1960年2月05日 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日本共産党特殊財政部」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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