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日本共産党神奈川県常任委員会革命左派 : ウィキペディア日本語版
日本共産党(革命左派)神奈川県委員会[にほんきょうさんとう かくめいさは かながわけんじょうにんいいんかい]

日本共産党(革命左派)神奈川県常任委員会(にほんきょうさんとう かくめいさは かながわけんじょうにんいいんかい、通称:革命左派)は、1960年代から1980年代にかけて存在した日本の新左翼党派の一つ。名称は日本共産党革命左派神奈川県委員会、または単に日本共産党(革命左派)とも。一般的には大衆組織名の京浜安保共闘(けいひんあんぽきょうとう)で知られる。
名称に「日本共産党」を冠しているが人脈的には共産主義者同盟マルクス・レーニン主義派(ML派)を主な起源とする共産主義者同盟ブント系の党派であり、他の日本共産党を冠する諸党派と異なり、日本の国政政党である「日本共産党」とは、人脈的関係はほとんど無い。
== 概要 ==
連合赤軍日本労働党の母体の一つとして知られる。毛沢東思想を掲げ、「反米愛国」をスローガンに、当初は労働運動を、後に武装闘争を中心とした活動を行った。党の青年組織として「青年共産同盟」、大衆組織として革命左派の各種大衆団体(学生戦闘団、京浜労働者反戦団、婦人解放同盟など)及び共闘関係にあった東京共青による「京浜安保共闘」を持ち、非合法部門として「人民革命軍」を持っていた。ヘルメットは赤ヘルに白の一つ星、機関紙のタイトルは「解放の旗」。主な拠点は東京水産大学〔川島豪の出身校で自治会を把握。当時の同校におけるほぼ唯一の新左翼セクト。〕および横浜国立大学〔当時の同校にはさまざまな新左翼セクトが存在したが、同校を一大拠点校としていた中核派がヘゲモニーを握っており、革命左派は少数派であった。〕。
直接の母体が「日本共産党(左派)神奈川県委員会」であることから党派名に「日本共産党」を冠しているが、系統的にはブントML派の分派であり、初代最高指導者の川北三男や後に獄外最高指導者となる永田洋子をはじめ中心メンバーの多くは社学同ML派出身者である(但し組織の実質的な最高指導者である川島豪マル戦派出身)。また、ML派からも自派の分派として激しく敵視されていた。共産党出身者は、初期の非主力メンバーに左派経由で加わった者、当時の学生運動の高揚の中で民青から反代々木派に転じ革命左派に加わった者など若干名いたが、いずれも間もなく組織を離れていった。ただし、神奈川左派以降に活動に加わったメンバーはこのような経緯を知らず、革命左派が(ブント系ではなく)日本共産党の純粋な分派であると信じていた。
結成当初は主に京浜工業地帯の工場労働者を基盤とした組織であったが、武装闘争開始後は労働運動出身メンバーの多くが離反し、1971年末の時点ではほとんどのメンバーが学生運動出身者であった。他の地域でも小規模な組織活動を行っており、あさま山荘事件で逮捕された少年兄弟や山岳ベース事件で殺害された被害者数人は、「中京安保共闘」を介して東海地方から参加していた。
組織の最高指導者は当初は河北三男であったが、間もなく川島豪が最高指導者となった。川島らの革命左派は急速に過激化していき、一連の連合赤軍事件に至ることになる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「日本共産党(革命左派)神奈川県委員会」の詳細全文を読む



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