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日本共産党第7回大会 : ウィキペディア日本語版
日本共産党第7回大会[にほんきょうさんとうだいななかいたいかい]
日本共産党第7回大会(にほんきょうさんとうだいななかいたいかい)は、1958年7月21日から8月1日にかけて開催された日本共産党党大会六全協の方針を受け継ぎ、党体制の正常化と新たな前進を目指した。
== 概要 ==
第6回大会との継続性をもたせるため、第6回大会選出の役員と、6全協選出の役員との合同で準備がおこなわれた。
党大会の準備過程で、討論誌「団結と前進」が刊行され、1957年に起草された党章草案(大会議案とされた、綱領と規約をあわせたもの)や、党の路線について幅広い議論が行われた。主な議論は宮本顕治に代表される「反帝・反独占の民主主義革命」論と、春日庄次郎に代表される「構造改革・社会主義革命」論の間で交わされた。
だが、スターリン主義を根底的に批判し、トロツキー主義の立場から党章草案を批判した沢村義雄(大屋史朗。他に筆名で「西京司」。党京都府委員)の「レーニン主義の綱領のために」〔沢村義雄 「レーニン主義の綱領のために」 『日本共産党批判-増補改訂版』 国際革命文庫編集委員会、新時代社〈国際革命文庫〉、1974年6月。〕は、関西地方委員会の機関誌のみに掲載され、「団結と前進」には掲載されなかった。
第7回党大会では、党綱領は継続審議となり、当面の行動綱領と規約が採択された。大会後の第1回中央委員会総会では野坂参三中央委員会議長に、宮本顕治が中央委員会書記長に選出された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「日本共産党第7回大会」の詳細全文を読む



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