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日本協同党(にほんきょうどうとう)は、1945年12月18日に結成された協同組合主義、労使協調を標榜した中道政党。船田中、赤城宗徳、井川忠雄など、主に護国同志会の出身者を中心に千石興太郎、黒沢酉蔵らを加えて結成された。 1946年1月4日に所属議員23人のうち21人が公職追放されたため、山本実彦が委員長に就任。1946年5月24日、日向民主党、日本農本党、無所属の議員と合同し協同民主党となった。 ==党史== *1945年8月 当時のノーベル平和賞候補であった賀川豊彦の提唱により、協同組合のための政治を実現することを党是として新しい政党の結成を画策。 *1945年10月 産業組合系で賀川が設立に関わった共栄火災海上保険株式会社の社長を協同組合運動の同志である井川忠雄が務めていたこともあり、同社の本支店に県本部を設置することが決まり、実現に向けて産業組合関係者が奔走する。 *1945年12月 結成、実質的な活動の中心は賀川の地元で灘消費購買組合、神戸消費購買組合を中心とした兵庫県本部(共栄火災海上保険株式会社神戸支店内に設置)であった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日本協同党」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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