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憲法無効論 (けんぽうむこうろん)とは、日本国憲法は無効あるいは失効しているとする論の総称。 ==概要== 憲法無効論は日本国憲法の制憲過程に重大な瑕疵があり無効であるとするもの、あるいは日本国との平和条約締結にともない自動失効しているとするものの総称であり、法理論としては前者が取り上げられ現代の憲法改正論議において論じられることが多いが、当初は後者の視点からの論であった〔例えば1952年(昭和27年)3月17日参議院予算委員会に参考人として招聘された神川彦松は以下のように発言している。「私は今申しましたように、国際政治史及び国際政治学の專門家でありまして、憲法の專門家でもなく、又国際法も大しては專門とはいたしておりませんから、私が申しますることは形式的な法律論ではなく、実質的な政治論が主になるかと思いますが、その点も御了承を願いたいのであります。……私などの考えによりますれば、形式的には成るほど日本国憲法となつておりまずるが、実質的にはいわゆる戰時占領中、マツカーサー元帥の軍事独裁下において制定されたものでありますから、本来占領中における臨時根本法であるべきもので、日本の永久憲法であるとは断じて私は考えないからであります。これは申上げるまでもなく、丁度同じような状態に置かれましたドイツにおいて、いわゆるボン憲法が制定されました以来の経過を御承知になりますならば、全然疑いのないところでありまして、ボン憲法の最後の條文、即ち第百四十七條には、この根本法というのは戰時占領中のものであつて、占領の終了と同時に失効するということが明確に書いてある。およそ軍事占領下において、国民というものは主権を持ちませんから、主権を持たない国民が自由な発言ができるわけはなく、又民主的な憲法ができるわけはないのでありますから、その際にできたものが民主的な憲法であるというようなはずはないのであります。それを民主的憲法と言えば僞りであると申すほかないのであります。従つてそれが占領中だけのもので、占領の終了と同時に失効するということは、理論の上においても、又実際の上においても、当然でなければならんと私は確信いたしておるのであります。」〕。 憲法無効・失効論の述べるところは憲法失効にともない大日本帝国憲法を唯一の法源とすべしという点にほぼ要約されるが(別論あり)、これはあくまで手続き上の議会主義的正統性に関する要求であり、旧憲法の改正手続きに則り速やかに新たな自主憲法を策定すべし(石原慎太郎等)、ないしは憲法の正当性を確保するべく日本国憲法を改正すべし(小沢一郎等)との論である。 今日では、最高裁をはじめ日本国憲法を法源とした多くの判例が適示されており、既に解決済みの論題として法曹界で積極的に採り上げられる事は無く、日本国憲法が無効ないし失効していると主張する法学者は少ない。一方で議会を中心とした憲法改正論議においてしばしば紹介され論じられることがある。論点としては当初は新憲法9条と日米安保条約の整合性に焦点があったが、天皇主権を明示する帝国憲法が国民主権を前提とする新憲法を制定することはできないとする論点や(憲法改正限界説)、あるいは仮に可能であったとしても制憲過程に重大な瑕疵があったのではないかとの観点を含んでおり(無限界説における押し付け憲法説)論争を生んだ。 第二次世界大戦の占領を経て憲法を無効化した例は、海外にも例がある。オーストリア第二共和国は、ナチス・ドイツからの独立に当たって1933年時点でのオーストリア憲法を復活させる主旨の立法()を制定し新憲法までのつなぎとし、エンゲルベルト・ドルフース政権下の1934年改正についてはこれを無効とした。ナチス・ドイツのフランス侵攻に敗北したフランスでは国会議決により、フィリップ・ペタン元帥の政府に憲法改正の全権をゆだねた(1940年7月10日の憲法的法律)。ペタンの政府は翌日第三共和政の憲法を廃止するを発した。ヴィシー政権期を通じて新憲法は事実上制定されず、時折制定される憲法行為が憲法の代替をしていたが、1944年8月9日、フランス共和国臨時政府はヴィシー政権下で成立した憲法的法律を含む諸法令について無効を宣言した()。ヴィシー体制はまもなく崩壊している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「憲法無効論」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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