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日本基督教団讃美歌委員会(にほんキリストきょうだんさんびかいいんかい)は、日本基督教団の讃美歌委員会。 ==概要== 日本におけるキリスト教各派を通じて一つの讃美歌を用いたいとの議論は、1880年に近畿地方の宣教師会議で議案に上がったことに始まる。また、これよりも先、1874年ごろ長崎のダッチ・リフォオームド及びメソジストの両ミッションが共同して讃美歌及び曲譜の小歌集を出版したこともあった。数年間にわたりその歌集はよく用いられた。 1890年に至って一致、組合両教会の委員が編纂した「新撰讃美歌」が世に出た。これらの他、讃美歌編集は各派の間でそれぞれおこなわれていた。このようにしてそれらは良く用いられはしたものの、広く用いられた歌でさえ翻訳がまちまちで各派の信徒の交わりを深くするには至らなかった。これらのことから共同の讃美歌が欲しいとの気持ちが、これまで以上に増し、ついに共通讃美歌を編纂することとなった。1900年4月に大阪で開かれた福音同盟会において満場一致で可決され、同年10月には東京で開催された宣教師大会もこれに賛同し、ついに様々な教会、ミッションで委員を出してこれに全権を委ねることになった。 編纂は1900年の秋に開始され、組合教会、日本基督教会、浸礼教会(バプテスト)がこれに参加したが、翌年にはメソヂスト教会及び基督教会も参加した。もっとも当初よりメソヂスト教会の代表は日本聖公会から出された委員と共に協議委員会に出席し、殊に有名な讃美歌百首以上の歌詞を整えて、それに合致する譜を合わせて、以前より出版している讃美歌集と共通の材料を提供した。この共通賛美の歌の大半は各派の讃美歌で出版されていたものを改定したものであった。このようにして1903年10月に日本で最初の共通讃美歌が発刊された。この共通讃美歌出版の母体となった各派からの参加による共通讃美歌発行のための委員会、即ち「讃美歌委員会(The Hymnal Commitee)」が日本基督教団讃美歌委員会の前身である。 *興亜讃美歌(1943年) *讃美歌・時局版(1942年)国会図書館蔵 *日曜学校讃美歌 (1947年)・・55曲 *日曜学校讃美歌 (1948年)・・55曲、交読文が1947年版より少ない。 *日曜学校さんびか (1949年)・・81曲、目下編集中との但し書きあり。 *こどもさんびか (1953年)・・歌詞版、伴奏譜は1955年。 *こどもさんびか(1966年) *讃美歌第二編(1967年) *ともにうたおう-新しいさんびか50曲(1976年) *改定讃美歌試用版(1992年) *讃美歌21(1997年) *※興亜少年讃美歌(1943年)は日本基督教音楽協会の刊行によるものであり本委員会編纂に非ず。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日本基督教団讃美歌委員会」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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