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日本大衆党(にほんたいしゅうとう)は、昭和初期の日本の無産政党。 1928年12月、日本農民党(平野力三)、日本労農党(三輪寿壮)、無産大衆党(鈴木茂三郎)の他、九州民憲党や中部民衆党など地方無産政党が合併して発足。高野岩三郎を委員長に、平野力三を書記長に選んだ。浅沼稲次郎や加藤勘十も参加。しかし党の主導権を巡る内紛が絶えず、1929年には左派の鈴木と右派の平野を除名して麻生久を委員長としたが、1930年7月、全国民衆党、無産政党戦線統一全国協議会と合同して全国大衆党となった。 ==参考文献== * 村川一郎『日本政党史辞典 上』(国書刊行会) *日本史年表・地図 山川出版社 *昭和・平成現代史年表 小学館 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日本大衆党」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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