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日本室内陸上競技選手権大会 : ウィキペディア日本語版 | 日本室内陸上競技選手権大会
日本室内陸上競技選手権大会(にほんしつないりくじょうきょうぎせんしゅけんたいかい)は、1961年から1963年まで東京体育館で開催されていた室内の陸上競技大会である。 == 概要 == 東京オリンピックに向けた選手強化の一環として、公式にボード・トラックを使用した日本初の室内陸上競技大会である「第1回NHK室内国際大会」が1961年の3月18日と19日に、その3日後の22日と23日に「第1回日本室内選手権」が東京体育館で開催された。NHKが経費を負担し、全米体育協会の設計図をモデルに製作した1周133.33m(3周で400m、直走路60m)のボード・トラックを設置して行われたこの大会には、リビオ・ベルッティ、マレー・ハルバーグ、ドン・ブラッグなどのローマオリンピック金メダリストらを招待した。 第2回大会は1962年の3月17と18日に「第2回NHK室内兼第2回日本室内選手権」として行われたが、今大会からトラック1周を160y(146.3m)にして、フィニッシュラインから後ろが約20m延長された。また、第1回大会は館内がとても寒かったことから、東京ガスに依頼して暖房器具48基を設置した。今大会もラルフ・ボストン、マレー・ハルバーグ、ピーター・スネルなどのローマオリンピック金メダリストらを招待すると、男子880yでピーター・スネルが1分49秒9の室内世界記録を樹立。日本選手も女子走高跳で堤絹子が1m68の室内日本記録を樹立した。 第3回大会は1963年の3月30日と31日に行われ、9つの室内日本記録が誕生した。しかし、強化関係者の激しい議論の末、今大会を最後に室内陸上競技は中止され、日本室内選手権も終了となった。室内陸上競技の推進者である安田矩明は中止の理由について、屋外と室内のスパイクの感触の違い、国内のトップ選手はこの時期本調子ではない、室内暖房が不十分、観客が少なくて盛り上がらない、と説明した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日本室内陸上競技選手権大会」の詳細全文を読む
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