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公益社団法人日本文藝家協会(にほんぶんげいかきょうかい、)は、文芸を職業とする者の職能団体として設立された公益社団法人である。社団法人時代は文化庁が所管していた。文藝春秋ビル内に書記局(事務局)を持つ。2012年4月現在の代表は篠弘理事長。 文芸家である会員と、著作権継承者である準会員によって構成され、会員数は約2500人。著作権管理事業については会員以外の管理も請け負っている。 == 沿革 == 1926年(大正15年)に劇作家協会と小説家協会が合併して発足。初代会長は菊池寛。1942年(昭和17年)に一度解散して日本文学報国会に吸収されたが、1946年(昭和21年)に再発足した。1948年(昭和23年)年から理事長制をとり、会長・理事長の二本立てになったが、1984年(昭和59年)以降、会長職は廃止された。1990年(平成2年)、永山則夫の入会拒否問題をめぐる対立をきっかけに、柄谷行人、中上健次、筒井康隆、井口時男らが抗議のため脱会した。 文芸家の職能を擁護確立する目的をもって設立されており、政治的主張は基本的には行わず、もっぱら文芸家の地位向上、言論の自由の擁護、文芸家の収入・生活の安定などを活動の主軸としている。このため、文芸美術国民健康保険組合の加盟団体であったり、静岡県の冨士霊園内に共同墓「文學者之墓」を所有するなど、文学者の生活向上を主眼とした、あまり衆目に触れない活動も多い。 上記の立場から、著作権問題については保護期間の延長を、再販売価格維持制度についてはその維持を訴えることが多い(但し、2001年(平成13年)の声明では流通上の問題を見直してもなお再販制度に問題がある場合は再販制度自体の見直しも否定されるべきではないともしており、その点が「再販絶対護持」を掲げる日本ペンクラブと大きく異なっている)。 2003年(平成15年)、協会内に著作権管理部を設立し、解散した日本文芸著作権保護同盟の著作権管理業務を引き継いだ。また啓蒙活動のために特定非営利活動法人・日本文藝著作権センターを設立した。 2011年(平成23年)に、公益法人改革により、公益社団法人となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日本文藝家協会」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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