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獅子吼高原(ししくこうげん)とは、石川県金沢市と同県白山市にまたがる後高山(しりたかやま)周辺を、旧石川郡鶴来町が観光開発のため名付け宣伝し周知した地域名である。 ここで言う「高原」とは一般的に定義される「高原」とは違い、標高650mの後高山ならびにその周辺のことを「高原」と称している。 == 歴史 == 「獅子吼」の名は、泰澄が白山開山に向かう途中、後高山周辺の4カ所で宿泊したことにちなんでいる。当初は「ししゅく」と呼ばれ「四宿」または「止宿」と表記したが、のちに仏教の経典にある「獅子吼」の文字を当てて「ししく」と呼ぶようになった。 獅子吼高原の観光開発は、大正末期に設定された「町営鶴来スキー場」から始まった。それは、次の4つのスロープ(加えて1955年に宮様スロープが開設されるも数年後に閉鎖)を持ち、総面積100万坪に及んだ。 * 小原(おはら):1928年(昭和3年)完成。昭和40年代から昭和50年代頃は学童のスキー遠足や授業などに使われた。現在はパラグライダーの初心者講習用に芝が敷かれ整備されている。 * 後高:のちに「獅子吼高原スキー場」となる。 * 風吹峠 * 獅子吼 1955年(昭和30年)、中部日本スキー大会がこの地で開催された時、臨席していた高松宮にスロープを賞賛されたことをきっかけに、ロープウエイ架設の機運が高まり、1959年(昭和34年)にロープウエイが完成、翌1960年(昭和35年)に「獅子吼高原スキー場」として本格的な営業をスタートした。 当時石川県唯一のスキー場として、また夏シーズンには学校遠足の目的地や手取川扇状地を見渡せる景勝地として、最盛期の1969年(昭和44年)にはロープウエイの利用者数が片道換算で19万人を数えた。しかしこれ以降白山麓に新しいスキー場が次々とオープンしたことや、折からの雪不足により当スキー場の目玉商品でもあった山頂から麓まで滑降する「日本海コース」に雪が付かなくなった事もあり、利用者が激減した。 冬期スポーツ施設として低迷する一方、1980年代はじめ頃からハンググライダーなどスカイスポーツの需要が高まり、徐々に関連施設が整備されていった。そんななかロープウエイやリフト等の施設を管理運営する第3セクターに出資していた名古屋鉄道が資本提携の解消を決め、それに伴い老朽化しつつあったロープウエイの廃止が決定的となる。観光産業の衰退を憂慮した旧鶴来町は、伝統的地場産業の育成と獅子吼高原を中心とする観光産業の再開発を目的として、1996年(平成8年)4月、獅子吼高原山麓に産業公園「パーク獅子吼」を開園。同年6月には新たに4人乗りゴンドラを敷設し、夏でもスキーが楽しめる人工芝スロープと、パラグライダーの離陸場を兼ね備えたレジャー施設「スカイ獅子吼」が山頂にオープンした。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「獅子吼高原」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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