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日本横断運河[にほんおうだんうんが] 日本横断運河(にほんおうだんうんが)は、1960年代に日本で計画された運河である。中部横断運河とも呼ばれた。 揖斐川と琵琶湖を利用して伊勢湾と敦賀湾とを運河で結び、1万トン級以上の大きさの船舶を通そうという計画であった。 計画当初は中京地域を中心に議論が進められ、中部運河の仮称で呼ばれていた〔『観光滋賀の歩み』 p.31 滋賀県観光連盟 1989年〕。 ==ルート== 運河のルート案の一つは、次のようなものだった〔田中玄次郎(編)『交通戦争の断面』(愛知県引揚者相談所・愛知県引揚者更生団体連合会、1965年3月)〕。伊勢湾岸から約25キロメートルの区間は揖斐川を利用し、その地点(岐阜県内)から滋賀県長浜市(当時の長浜市域)北方の琵琶湖岸までの約44キロメートルの運河を開削。そこから塩津(当時西浅井村、現在長浜市)まで約20キロメートルは琵琶湖上を利用し、塩津から敦賀湾岸までは約19キロメートルの運河を開削するもの。全長約108キロメートルとされた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日本横断運河」の詳細全文を読む
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