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日本社会党の派閥 : ウィキペディア日本語版
日本社会党の派閥[にっぽんしゃかいとうのはばつ]
日本社会党の派閥は、日本社会党のとるべきイデオロギー路線についての考え方の近い党員の集団。党史の大半の時期において、党内勢力はマルクス・レーニン主義に近い左派と社会民主主義に近い右派に大別されたが、さらに細分化されたグループが派閥組織を形成していた。
==50年代・サンフランシスコ平和条約から55年体制==
1952年サンフランシスコ平和条約(保守陣営では講和条約と表現される)の批准を巡り浅沼稲次郎ら右派は賛成し、鈴木茂三郎ら左派は反対と、対応が割れ、党は左右両派に分裂した。
1955年10月左右両党が再統一した。(党の役員ポストは、次の通り左派委員長鈴木、政審会長伊藤、国対委員長勝間田、参院会長金子、選対委員長佐々木、書記長右派浅沼、顧問河上)
1958年5月の第28回衆議院議員総選挙で10議席増の166議席を獲得し、憲法改正阻止に必要な議席である三分の一を確保した。
1959年6月の第5回参議院議員通常選挙で社会党が敗北した事を受けて、右派が鈴木の責任を追及し、その結果西尾派と河上派の一部が離党した。(60年1月民社党結成で鈴木が辞任した。)
*左派
*;平和同志会:松本治一郎
*;社会主義研究会:鈴木茂三郎
*;和田派:和田博雄
*中間派
*;農民同志会:野溝勝
*右派
*;統一会:河上丈太郎
*;社会党再建同志会:西尾末広→離党

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「日本社会党の派閥」の詳細全文を読む



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