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日本維新の会(にっぽんいしんのかい、)は日本に存在した政党。略称は維新の会、維新〔2012年(平成24年)10月16日中央選挙管理会告示第13号「衆議院比例代表選出議員の選挙における政党その他の政治団体の名称、略称等について届出があった件」〕。 2014年7月31日に解党。翌8月1日に同名の政党を結党するが、9月21日に結いの党を統合し維新の党へ党名を変更。 == 概要 == 2010年(平成22年)4月に設立された地域政党「大阪維新の会」を母体に、自民党・民主党・みんなの党から離党した国会議員らを加えて2012年(平成24年)9月28日に設立された。また設立直後に日本創新党が、同年11月には太陽の党(たちあがれ日本より改名)が、解党して党に合流している。 当初は大阪維新の会代表の橋下徹が党代表に就いていたが、太陽の党が合流した際に同党共同代表の石原慎太郎が代表に就任し、橋下は代表代行に退いた。その後2013年(平成25年)1月になって石原・橋下の共同代表制に移行した。 党本部を大阪府内に置く唯一の政党である。 自民党・民主党の二大政党に対抗する「第三極」の中心として注目を集め、2012年(平成24年)12月16日に執行された第46回総選挙では54議席を獲得して国政第3党に躍進した。他方で主要政策に隔たりがあった太陽の党と合流して以降は、橋下共同代表ら結党以来のメンバーと、国会議員の3割近くを占め国会議員団の主導権を握る石原共同代表ら旧太陽の党メンバーの間で、しばしば意見の対立や主張の食い違いが生じている。結いの党の合流を巡って石原と橋下が対立し、2014年(平成26年)5月28日に分党で合意。6月22日の臨時党大会で、橋下グループと石原グループに分党するため、党を解党する方針を決定。7月31日に「政治団体解散届」を総務大臣に提出し正式に解党した。石原グループは次世代の党を結党。一方、橋下グループは党名を引き継いだ暫定的な新党「日本維新の会」を結党、結いの党が解党したうえで合流し維新の党へ改称した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日本維新の会」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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