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日本臨床心理学会(にほんりんしょうしんりがっかい)は臨床心理学の進歩普及を図ることを目的として1964年に設立された学会である。 ==概要== 日本臨床心理学会は1964年の設立で、1970年ごろまでは、わが国の臨床心理を代表する最大規模の臨床心理系学会であった。現在の会員数は約400名で、少数学会となった。心理学に興味があれば誰でも入会できる。とくに精神障害の「当事者」(患者・来談者)をも会員とするのが特徴である。 設立当初の主な目標には、「臨床心理士」の国家資格制定が含まれていた。しかし1969年ごろから、全国的な医学部紛争、反精神医学の流行に刺激された医学系学会での改革の動きを受けて、心理テストと国家資格への疑問が表面化した。1971年の第7回大会(議長=篠原睦治)では、会員からの要求を受けて理事の全員が辞任。日本臨床心理学会改革委員会が発足した。以後は改革を主導した若手(篠原睦治・山下恒男・小沢牧子・吉田昭久ら)を柱に運営され、これに不満な会員が、大学関係者を中心に大量脱会した。ただし、会長でこの分野の権威であった戸川行男は改革に賛同し、学会に留まった。心理学への根本的な批判を伴う変革の余波は、現今の学界事情にも及んでいる。 少数派となったとはいえ、日本臨床心理学会は専門家が独占を図る既存体制への批判を次々と打ち出し、心理職の国家資格化に反対する有力な団体であり続けた。また精神障害者のかかわる刑事裁判を支援し、社会的な影響力もしばらく健在であった。けれども若手は、多選を経てそのまま年寄りとなった。次世代の役員を人脈で継いだこともあり、活動内容に変化が乏しく、やがて停滞に陥った。 1991年の第27回横浜総会(議長=越智浩二郎)では、臨床心理技術者の国家資格化を巡り、再び激論が交わされた。宮脇稔・亀口公一らの厚生省(当時)による臨床心理士国家資格化に協力する方針が採択されたため、反対派は退会し再分裂に至る。退会した勢力はその後「日本社会臨床学会」を設立し、活発な社会批判を続けている。 日本臨床心理学会に残った人びとは「現状の矛盾をみきわめ」と革新的な看板を掲げつつも、保守色を強めてきた。国家資格問題では日本心理臨床学会と共同歩調をとり補完勢力となった。衰えた勢力を挽回する手だてとも期待されたが、会員の減少は止まらなかった。学会外からの支援要請に応える動きはなくなった 。また、近ごろでは最短で十年、長くは四十年も在任を続ける古手役員の恣意的な運営 に流れている。責任者の指示が通らず、会則・議決の無視も珍しくない。運営副委員長職にあった宮脇稔は、学会活動は会員のためにあるのではないと明言 し、「共感と理解がかなわなければ、自分が委員になるか脱退すればよい選択の自由があり、その分、運営委員会への縛りも弱い」と述べている。 2011年からの第20期運営委員会では、新たに加わった運営委員(酒木保・實川幹朗・戸田游晏・藤原桂舟ら)による、宗教や民俗を絡めての再度の改革の動きも見られたが、2013年8月10日の第49回定期会員総会(議長=亀口公一、選挙管理委員=西田久美江)で、旧来の顔ぶれに戻った。役員選挙は1971年の改革以来、立候補者全員が総会において、討論ののち拍手で信任されてきたが、第49回総会では無記名投票 となった。選管と議長が議論を封じたまま投票を強行した点でも前例のない役員選挙であった。委任状を含めた多数決集計の結果、立候補者5人のうち 運営委員歴十年を越える二人(菅野聖子・高島眞澄)だけが当選。現役編集委員長の實川が不信任されたほか、新人二人も落選した。運営委員長(会長)であった酒木、事務局長(副委員長兼任)の戸田は立候補しなかった。こののち運営委員歴20年を越える5人と別の新人一人がその場で追加立候補して二回目の投票が行なわれ、こんどは全員が当選したが、選挙手続に疑義があるとして第20期の運営委員会三役(運営委員長・事務局長・編集委員長)を含む五名が選挙やり直しを求める申し立て を行なっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日本臨床心理学会」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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