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日本航空アンカレッジ墜落事故 : ウィキペディア日本語版 | 日本航空アンカレッジ墜落事故[にほんこうくうあんかれっじついらくじこ]
日本航空アンカレッジ墜落事故(にほんこうくうアンカレッジついらくじこ)は、1977年1月23日早朝に日本航空の貨物便がアメリカ合衆国アラスカ州アンカレッジ国際空港を離陸した直後に失速、墜落した事故である。 死亡したアメリカ人機長の体内から多量のアルコールが検出されたことから、離陸時に正常な判断操作が出来なくなっていたことが事故原因とされており、貨物便ではあるものの、大型ジェット機による営業運航便の航空事故としては極めて稀な、運航乗務員の飲酒が原因の一つとされる墜落事故である〔加藤 2001 p.2〕。 == 概要 == 日本航空(以下JAL)1054便(DC-8-62F貨物機、機体記号:JA8054、1972年製造)は、ワシントン州モーゼスレイクで食肉用の生きた牛56頭を積み込み出発、アンカレッジを経由して東京を終着地とする国際貨物チャーター便だった。アンカレッジまでは別のクルーの操縦で同日の5時3分(アラスカ標準時、AKST)に到着し、所定の点検作業が行われた〔加藤 2001 p.49〕。 東京へのフライトは、米国人機長(Hugh L. Marsh、53歳)と日本人の副操縦士(31歳)および航空機関士(35歳)が担当した。午前6時35分ごろ、霧の濃いアンカレッジ空港 24L 滑走路から離陸してすぐにバフェットが発生、そのまま失速状態となり回復できないまま墜落・炎上した。離陸滑走開始後1分強しか経過していなかった。機体は全損し、フライトクルー3名と積荷の牛の世話係2名の計5名全員が死亡した〔加藤 2001 pp.48-50〕。
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