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日本製鐵株式會社〔「社」の偏(示偏)は、新字体の「礻」ではなく康熙字典体の「示」。〕(にほんせいてつ、新字体:日本製鉄株式会社、英文社名:''Japan Iron & Steel Co., Ltd.''〔新日本製鐵の英語版ウェブサイトによる。〕)は、かつて存在した日本の鉄鋼メーカーである。 官営八幡製鉄所を中心とする官営・民営の製鉄事業者が合同し1934年(昭和9年)に設立。法律で規定された半官半民の国策会社であった。太平洋戦争後の1950年(昭和25年)に財閥解体の一環で解体され消滅した。新日鐵住金(新日鉄住金)などの前身にあたる。略称は「日鉄」(日鐵、にってつ)。 == 概要 == 官営八幡製鉄所(福岡県)を中心に、輪西製鉄(北海道)・釜石鉱山(岩手県)・三菱製鉄(朝鮮)・九州製鋼(福岡県)・富士製鋼(神奈川県)の1所5社が1934年(昭和9年)に合同して設立された鉄鋼メーカーである。のちに東洋製鉄と大阪製鉄の2社が加わり、1所7社の合同となった。会社設立の前年1933年(昭和8年)に制定された法律「日本製鐵株式會社法」(日鉄法)で経営が規定され、大蔵省が株式の大半(設立時は82.2%、解散時は57.0%)を保有していた。当時の日本国内では最大の鉄鋼メーカーであり、日本の鉄鋼業を代表する存在であった。 経済的・軍事的な面から重要視された鉄鋼を低廉かつ豊富に供給し、鉄鋼の輸入を防止するという使命の元に設立され、日中戦争や太平洋戦争を背景として拡大を続けた。戦後は戦時中に荒廃した設備の復旧にあたったが、その途上の1950年(昭和25年)4月、財閥の解体を目的とする過度経済力集中排除法の適用を受け、4社に分割されて日本製鐵は解散した。後継の4社は八幡製鐵・富士製鐵・日鐵汽船(現・NSユナイテッド海運)・播磨耐火煉瓦(現・黒崎播磨)で、そのうち鉄鋼メーカーの八幡製鐵・富士製鐵は1970年(昭和45年)に合併し、新日本製鐵(新日鉄)となった。そして2012年(平成24年)10月1日に住友金属工業と合併し、新日鐵住金が発足した。 事業は中核の鉄鋼事業のほか、副産物を利用する化学事業、自社の製品や原材料を輸送する海運業、セメントや製鉄所で利用する耐火煉瓦を製造する窯業、鉱山を開発する鉱業などを手がけた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日本製鐵」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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