|
日本積善銀行(にほんせきぜんぎんこう)は、1922年(大正11年)に経営者の乱脈経営が原因で破綻した京都の銀行。これが契機になり、多くの銀行で取り付け騒ぎに発展し、休業、破綻が相次いだ。これら一連の流れは「積善銀行事件」〔大正期日本積善銀行の破綻とリスク管理・ガバナンス不全 、滋賀大学-小川〕と呼ばれ、銀行のリスク管理の教訓となっている。 == 沿革 == *1893年(明治26年)5月23日 - 竹花嘉兵衛ら京都織物業界の有志により京都貯蔵銀行が設立(資本金10万円、頭取 膳平兵衛) *1914年(大正3年)2月 - 高倉藤平が株式の取得により頭取に就任〔『日本全国諸会社役員録. 第23回』 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕 *1916年(大正5年)6月14日 - 大正貯金銀行〔設立大正元年、本店大阪市東区淡路町、資本金50万円『日本全国諸会社役員録. 第24回』 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕(高倉系)を合併し、日本貯蔵銀行に改称(登記) *1922年(大正11年)1月1日 - 貯蓄銀行法施行に伴い普通銀行に転換、日本積善銀行に改称し、資本金を500万円に増資〔『京都金融史』 〕 *1922年(大正11年)11月29日 - 休業〔『京都金融史』 〕 *1923年(大正12年)4月7日 - 破産宣告〔『大阪毎日新聞』1923年4月8日 神戸大学図書館新聞記事文庫〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日本積善銀行」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|