翻訳と辞書
Words near each other
・ 日比谷大神宮
・ 日比谷大阪ビルヂング
・ 日比谷大阪ビルディング
・ 日比谷大阪ビルディング第1号館
・ 日比谷大阪ビルディング第2号館
・ 日比谷大阪ビルディング第一号館
・ 日比谷大阪ビルディング第二号館
・ 日比谷孟俊
・ 日比谷小学校
・ 日比谷小桃
日比谷平左衛門
・ 日比谷映画
・ 日比谷映画劇場
・ 日比谷潤子
・ 日比谷濠
・ 日比谷焼き打ち事件
・ 日比谷焼き討ち事件
・ 日比谷焼打事件
・ 日比谷焼討事件
・ 日比谷町


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

日比谷平左衛門 : ウィキペディア日本語版
日比谷平左衛門[ひびや へいざえもん]

日比谷 平左衛門(ひびや へいざえもん、弘化5年2月21日1848年3月25日) - 大正10年(1921年1月9日)は、明治期の紡績実業家。東京富士瓦斯紡績日清紡績など紡績業に深く関わり、東京商業会議所副会頭を務めた。
== 経歴 ==
越後国蒲原郡三条町の旅宿営業者・大島栄造の3男として生まれる。万延元年(1860年)より江戸日本橋堀留の綿糸棉花問屋松本屋斎藤弥助のもとで奉公し、のち日比谷家の養子となる。明治11年(1878年)に独立して浅草区茅町に綿糸染糸店を開くが、松本屋廃業によりそれを受け継ぎ、事務所を堀留に移して 綿糸・綿花を扱う卸商・日比谷商店を設立〔日本工業倶楽部, 1925〕。福沢諭吉慶應義塾)に学び、絹糸業を営む一方、紡績の将来性に着目し東京富士瓦斯紡績を設立し専務取締役。明治34年(1901年)頃、森村市左衛門の懇意により、武藤山治和田豊治佐久間福太郎と共に、日清紡績鐘淵紡績の設立に関わり、「日本紡績界の巨人」といわれるようになった。大正8年(1920年)には埼玉県の所沢銀行を買収して日比谷銀行(その後野村銀行に買収され、現在はりそなホールディングス)と改称、綿業相手の金融を手がけると共に中国にも支店を持った。その他にも第一生命九州電力などの設立・経営に携わる。また、大正5年(1916年)に慶應義塾大学の医学科振興のため寄附を行い、学事の振興にもつとめた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「日比谷平左衛門」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.