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日産・R383(にっさん・アールさんはちさん)は、日産自動車が1970年日本グランプリ、およびCan-Am参戦用に開発したプロトタイプレーシングカーである。当時の国際自動車連盟(FIA)規定でグループ7にあたる。状況の変化のために実戦には一度も出場しなかったことから「幻のマシン」とも呼ばれる。 ==概要== 1969年の日本グランプリをR382で制覇した日産は、グランプリ3連覇とCan-Am参戦を見通し、R38シリーズの総決算となる次期型マシンR383の開発に着手した。 日本グランプリ用はR382と同じGRX-3型V12気筒6.0リットルエンジンを搭載。出力は100馬力向上して700馬力以上となった〔NISSAN HERITAGE COLLECTION online ニッサンR383 - 日産自動車 2012年11月14日閲覧。〕。Can-Am用はそれにツインターボを装着する計画で、900馬力を予定した〔。ライバルのトヨタが同時期に開発していたトヨタ・7(5.0リットルターボ)は公称800馬力だった。 R382と外観上最大の相違は、ラジエーターがフロントからサイドへ移動したこと。このためノーズはすっきりスマートになった。空力特性の追求がそれまで以上に重要になっていたからである。 しかし1970年6月8日、日産は「公害・安全問題の解決に注力する」という理由から、この年のグランプリ不参加を表明する。相手を無くしたトヨタもこれに続き、結局この年のグランプリは中止となった。この件に関しては、トヨタ7ターボの優位を知った日産が「勝ち逃げした」とも囁かれた〔桂木洋二 『激闘 '60年代の日本グランプリ』 グランプリ出版、1995年、p.246。〕。 グランプリ不参加は決定したものの、Can-Am参戦を目指しR383の開発は続行された。この年の8月には1号車が完成している。しかしCan-Am参戦を決定していたトヨタが、8月に起こした死亡事故で参戦を断念し、日産もこれに次ぐことになる。9月21日、正式にR383の開発は中止された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日産・R383」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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