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日産生命保険相互会社(にっさんせいめいほけん)は、かつて存在した日本の生命保険会社。 == 概説 == 1909年(明治42年)5月に、太平生命保険株式会社として設立。1923年(大正13年)に、鉄道王(東武鉄道社長など)と呼ばれ、富国生命の創業者でもある根津嘉一郎に買収される。昭和に入って、日産財閥に経営権が異動。戦後、相互会社となるも、日立製作所、日産自動車などの旧日産財閥系の企業と親しい関係が続いた。 1947年に相互会社として新会社発足させ、翌年、契約を包括移転する。その際の社名は日新生命保険相互会社であったが、1949年(昭和24年)に改称して日産生命保険相互会社となる。 1980年代半ば、業界初の歯科医療保険を開発し販売。この保険は保険請求が非常に多く、経営の悪化を招いた。 1980年代後半、地方銀行などと組み、融資とセットで高い予定利率の個人年金を販売することで、急激に資産が増大。1990年代前半に低金利時代が到来したことで、膨大な逆ザヤを抱える原因となった。このことが無理な運用に走ることを招き、破綻直前は株式市場に運用資金を傾斜させたことも、含み損を膨らませる結果となった。 1997年(平成9年)4月25日、債務超過により主務省である大蔵省より業務停止命令を受け破綻。戦後初の保険会社の破綻となった。破綻時の債務超過額は約600億円、総資産は約2兆1,200億円、負債総額は約2兆1,000億円。破綻の際に存在した既契約は、1997年6月に受け皿会社として設立されたあおば生命保険株式会社に引き継がれた(現在は吸収合併され、プルデンシャル生命保険)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日産生命保険」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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