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日田城 : ウィキペディア日本語版
日田城[ひたじょう]

日田城(ひたじょう)は、豊後国日田郡在田郷城内村(現在の大分県日田市北豆田慈眼山公園とその一帯)にあった日本の城である。大蔵城、鷹城、高城ともいう。
== 概要 ==
古代・中世から近世初頭にかけての大蔵氏流日田氏および大友氏流日田氏の山城および居館である。
仁寿2年(852年)に鬼蔵大夫永弘が創建したと伝えられ、山上に段状の曲輪を構え、絶壁を花月川に面し、南麓に居館を構えて山城の典型を採っていた。また日田城の西端には、大蔵永季が父・永興を供養するために建立した慈眼山永興寺(じげんざんようこうじ)があった。日田城の廃城時期や経緯は不明である。慈眼山遺跡発掘調査では慈眼山麓の上城内町において、15世紀後半から16世紀中ごろまでに形成された、屋敷跡と推定される建物跡遺構が出土し、この建物群の廃絶は16世紀後半の可能性が指摘されている〔渡邉隆行編著『慈眼山遺跡』日田市教育委員会 2007年〕。廃城後は、館跡、城跡ともに宅地化と農耕地化が進み、改変が見られる。現在は住宅地としては利用されておらず大部分は山林となっている。〔小柳和宏編『大分の中世城館 第4集(総集編)』大分県教育委員会 2004年〕

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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