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日米核持ち込み密約問題 : ウィキペディア日本語版
日米核持ち込み問題[にちべいかくもちこみもんだい]
日米核持ち込み問題(にちべいかくもちこみもんだい)とは、日本への核兵器の持ち込みに関する問題。
== 国是としての非核三原則 ==

1957年昭和32年)に岸信介内閣総理大臣が「私はこの原子部隊を日本に進駐せしめるというような申し出がありました場合においても、政府としてこれに承諾を与える意思はもっておりません」と国会で答弁し、核兵器を装備した部隊の日本駐留を拒否する答弁を行った。
核の持ち込みについて、日本政府は以下のような表明を行っていた。
* 岸・ハーター交換公文において、日本への核の持込には''事前協議''が必要とされている。
* 今まで事前協議が行われたことは一度もないので、核が持ち込まれたことも無い。
* 事前協議があれば核持ち込みを拒否する。
この見解は、1960年に旧安保条約から新安保条約へと改訂した際に、横路節雄の質問に対して岸内閣の防衛庁長官であった赤城宗徳が行った答弁から一貫して続いていた〔衆議院会議録情報 第034回国会 日米安全保障条約等特別委員会 第20号 〕。
1967年(昭和42年)に佐藤栄作内閣総理大臣が「核兵器を持たず、作らず、持ち込まさず」という非核三原則を打ち出し、衆議院において非核三原則を遵守する旨の国会決議が行われた。「日本に他国から核兵器を持ち込まさせない」ということで1974年(昭和49年)に提唱者の佐藤栄作がノーベル平和賞を受賞した。
それ以降の歴代内閣は非核三原則の厳守を表明しており、非自民首相であった細川護熙羽田孜村山富市も非核三原則の遵守を表明していた。
アメリカによる核の持ち込みの可能性について日本政府は「事前協議がないのだから、核もないはず」としていたが、「核を持ち込ませず」が実際に守られていたかどうかは疑わしい点が多い(事前協議を行えば拒否されるのは明白だからそれさえもしない可能性がある)。
なお、1991年(平成3年)の冷戦終結に伴い、当時のジョージ・H・W・ブッシュ大統領が地上配備の戦術核兵器と海上配備の戦術核ミサイルの撤去を宣言しており、ブッシュ大統領の宣言により平時において核搭載艦船が寄港するなどの形で日本への核持ち込みは無くなったとする日本政府の見解が存在する〔岡田克也外務大臣の記者会見2010年3月9日の発言〕。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「日米核持ち込み問題」の詳細全文を読む



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