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日米豪印戦略対話[にちべいごういんせんりゃくたいわ]
日米豪印戦略対話(にちべいごういんせんりゃくたいわ)、または四カ国戦略対話(よんかこくせんりゃくたいわ、英語:Quadrilateral Security Dialogue)は、非公式な戦略的同盟を組んでいる日本、アメリカ合衆国、オーストラリアおよびインドの四カ国間における会談で、二カ国間同盟によって維持されている。対話は当時日本の首相であった安倍晋三によって提唱され〔47NEWS 4カ国戦略対話に消極姿勢 豪・印、中国外しに配慮か 2007年8月3日〕〔朝日新聞東アジアに信頼の共同体を 〕、その後ディック・チェイニー米副大統領の支援を得て、ジョン・ハワード豪首相とマンモハン・シン印首相が参加し開催される。対話後、全参加国による大規模な合同演習の実施および中華人民共和国の公式な外交ルートによる抗議が続いた。 四カ国関係は一時期オーストラリアのケビン・ラッド政権の成立によって暗礁に乗り上げたが、アジア太平洋地域における米中関係の緊張が増す中でオーストラリアの政策はアンビバレンスを反映していた。ラッド豪労働党政権の退陣と後継のジュリア・ギラード豪労働党政権の成立によりオーストラリアは対話に復帰し、その結果ティモール海とロンボク海峡を臨むダーウィン近郊へのアメリカ海兵隊駐留に至った。対話は成長を続ける中国の経済力と政治力に対応した外交的取り決めであると新聞やシンクタンクによって広くみられる。 == 背景 ==
=== アジア太平洋における米中紛争の戦略的枠組み === 21世紀初頭、アメリカ合衆国の戦略はイラクとアフガニスタンに没頭しており、この情勢はアジア太平洋地域の主要国の変化から注意を逸らすものとして見られた。これは成長した中国の経済大国化によってもたらされ、この地域におけるアメリカ合衆国の伝統的役割に疑問を呈するようになった。 長期的にみて、アメリカ合衆国とその周辺の民主主義国との戦略的パートナーシップを維持することによって対中「柔軟封じ込め」方針を追求してきた。日本、オーストラリア、インドとアメリカ合衆国間との同盟がこの方針の支えを作成する間、緊密な軍事関係の発展はソ連崩壊から複雑な経緯を経ており、そしてオーストラリアの論評は中国を包囲する四カ国安保に対して複雑な態度を示した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日米豪印戦略対話」の詳細全文を読む
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