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日精(にっせい、慶長5年(1600年) - 天和3年11月5日(1683年12月22日))は、日蓮正宗総本山大石寺第17世法主。江戸時代初期の大石寺の復興の賢上人と言われた。 == 略歴 == * 慶長5年(1600年)、誕生。 * 寛永9年(1632年)1月、江戸法詔寺において16世日就より法の相承を受ける。 : 1月21日、大坊に入る。大石寺第17世日精として登座。 : 11月15日、大石寺に御影堂を建立(敬台院の寄進による)。 : 日興・日目両師300遠忌を奉修。 * 寛永10年(1633年)、18世日盈に法を付嘱した。 * 寛永12年(1635年)10月6日、『日興筆安国論問答』を書写す。 * 寛永14年(1637年)春、日精再往。敬台院日詔の推挙により公儀の年賀に乗輿を免許せらる。 * 寛永15年(1638年)、大石寺の中門(二天門)を建立し、総門(黒門)を再建す。江戸下谷常在寺を再建す。 : 本行院日優を化し、江戸常泉寺・下総中田真光寺が大石寺末寺となる。 * 正保2年(1645年)、19世日舜に法を付嘱して隠棲した。 * 明暦2年(1656年)、御書要文2巻を編す。 * 明暦3年(1657年)5月8日、『富士門家中見聞』(家中抄)中巻を草す。 * 万治3年(1660年)4月8日、大石寺客殿安置日興御影を造立す。大石寺客殿安置大聖人御影を造立す。 * 寛文2年(1662年)12月18日、江戸下谷常在寺にて『富士門家中見聞』(家中抄)3巻を著す。 * 寛文9年(1669年)、寺社奉行の召により京本圀寺と越後本成寺の本末争いを決着す。 * 延宝8年(1680年)9月29日、甲斐杉山有明寺安置日有御影を造立す。 * 天和3年(1683年)11月5日、84歳で死去した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日精」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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