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日系アメリカ人(にっけいアメリカじん、英語:Japanese American)とはアメリカ合衆国市民の中で、日本にルーツがある人々のこと。19世紀末の移民によってアメリカ合衆国に渡った人々とその子孫のことを指すことが多い。 == 概説 == 日系アメリカ人は、2005年の国勢調査において1,221,773人、アメリカ合衆国(以下アメリカ)の総人口の0.4%を占めている。日系人コミュニティーはカリフォルニア州、ハワイ州、ニューヨーク州、ワシントン州にあるものが大きい。現代でも年に7000人近い日本人がグリーンカード(永住権)を取得してアメリカに移住している。2011年の調査では、アジア系アメリカ人の内訳では、中国系、フィリピン系、インド系、ベトナム系、韓国系に次いで、日系アメリカ人は6番目、7.5%となっている。 日系アメリカ人は初めてアメリカにわたった第一世代のことを一世、その子供たちの世代を二世、三世、四世、五世(:en:Gosei (fifth-generation Nikkei))と呼んでいるが、イッセイ (Issei) やニセイ (Nisei) といった言葉は英語でも通用する言葉になっている。 日系アメリカ人は当初から偏見と差別に苦しむことが多く生活も苦しかった。特に、北米及び南米へ移民した日系人の中には、第二次世界大戦中に強制収容所に収容されたり、戦後しばらくも激しい民族差別を受ける立場にあった者が多かった。しかし、汗水流して働き、教育熱心で、第442連隊戦闘団に代表されるようにアメリカ国民としての義務を果たし、立派なよきアメリカ国民になろうと努力していた。特に一世の世代は過酷な労働をこなしながら、稼いだお金を自分たちのためには使わず、子供たちの教育のために注いだ。 一世や二世の時代に第一言語として用いられた日本語も、世代が進み現地化が進むごとに徐々に現地語である英語にとって変わられ、自然な流れとして日本語を理解しない日系人が増えている。そのため、家庭や居留国の日本語補習校などで日本語教育を受けた人物も少数ながらも存在はするものの、三世や四世の世代で日本語を話すことができる人々は主に外国語として日本語を学んだ人々である。アジア系移民で特に母国の公用語に英語が含まれない国出身の家庭では、英語以外の母国語が使われるケースが多いが、その中でも日系人に限り、半数以上の家庭で英語のみが使われ、英語が主流という家庭も含めるとほぼ4分の3までもが家庭内でも英語を会話に用いており、日本語が使われているケースは他非英語系アジア移民の率の半分ほどである。 なお、1920年代前後に出生している二世は、日本での教育費用が居留国のそれと比べて安価であったこと、または、日本文化を継承する目的で日本の学校に通うことがある種の流行になった時期がある。ハワイ・オアフ島のワイキキ界隈や、ロサンゼルスのリトル・トーキョー、サンフランシスコのジャパンタウンなどの日本人街では、今でも多くの日本語の看板を目にすることができる。 ただし、北米の日系人は韓国系アメリカ人や中国系アメリカ人などと比べると、民族街に集結したり、相互扶助を行うことが少ない。特に北米では、第二次世帯大戦において日本がアメリカの敵国となったこともあり、祖国への忠誠を誓う目的で、あまり日系人が民族性を出さず、アメリカに同化するように努力したことも関係している。戦前に築いた日系コミュニティー、つまり日本町が、西海岸の数箇所でしか保存できなかったり、多くが消滅してしまったのは、構成していた不動産や財産を彼らが強制収容所に送られる前に手放さざるを得なかった上に、大戦後も残る日本への反感の中で、アメリカに同化して暮らさざるを得なかったからである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日系アメリカ人」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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