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日置 蓑麻呂(へき の みのまろ、大宝4年(704年) - 没年不明)は奈良時代の官人。氏姓は高句麗人である伊利須使主の子孫とされる〔『新撰姓氏録』〕日置造、のち栄井宿禰。大和介・日置真卯の子。正五位下・陰陽頭。 ==経歴== 左京三条三坊戸主の日置男成の戸口〔『正倉院天平二十年文書』〕。天平宝字6年(762年)外従五位下の時、丹波介に任ぜられる。天平宝字8年(764年)に栄井宿禰に改姓し、経師を勤めた。天応元年(781年)正五位下、延暦元年(782年)陰陽頭。その間、丹波員外目・大内記・丹波守・図書頭・大学頭・東宮学士・陰陽頭などを歴任した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日置蓑麻呂」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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