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日置 道形(へき の みちかた、生没年不詳)は、奈良時代後半の官人。氏姓は日置造のち栄井宿禰。日置千足の子。名は通形とも。従五位下・備中守。 == 経歴 == 天平神護3年(767年)伊勢介在職時に阿倍東人とともに伊勢神宮外宮上空に現れた瑞雲を奏上し、神護景雲改元のきっかけを作った。この功により、同年8月に正六位上から外従五位下に昇進した。以後は大工助・主税助・主計助・などを歴任し、宝亀8年(777年)に栄井宿禰と改姓した。光仁天皇大葬時には養役夫司も務め、備中守・内蔵助なども歴任、延暦元年(782年)には従五位下に叙せられたが、延暦9年(790年)までには没したという。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日置道形」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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