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日蘭和親条約[にちらんわしんじょうやく] 日蘭和親条約(にちらんわしんじょうやく)とは、安政2年12月(グレゴリオ暦1856年1月)に江戸幕府とオランダが締結した和親条約。1854年に日米和親条約が締結されたことを受けて、江戸幕府はオランダとも新たな関係を規定することになった。 「鎖国」体制においては、朝鮮王朝及び琉球王国との関係は「通信」とされ、貿易が行われたのみならず国交があった。しかし、オランダと中国との関係は「通商」とされ、貿易は行われたものの国交はなかった。1641年にオランダ商館が平戸から、現在の長崎市の出島へ移されて以降、オランダ人の行動範囲は出島に限定された。この条約の締結の結果として、オランダとの関係は「通商」から「通信」となり、両国間の国交が結ばれることとなった。また、オランダ人の長崎市街への出入りが認められるようになった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日蘭和親条約」の詳細全文を読む
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