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ブロック工法(ブロックこうほう)は、造船において船体を一括して建造せず、いくつかの塊に分けて同時に製造し、最後につなぎ合わせて完成させる工法。 リバティ船などの戦時規格船を急速建造する際に採用され、第二次世界大戦後の造船における主力工法となった。なお、造船以外で、「○○ブロック」を使った工法を「○○ブロック工法」と呼ぶことがある。建造期間の短縮、作業の高効率化を目指し採用された画期的な生産手法であり、戦後日本復興に大きく貢献したと言われている。 == 船舶 == この工法が造船の主力工法となったのは、第二次世界大戦を契機とする。日本と米国に限っていえば、日米ともに戦域の大半が海上を経由するため、軍事行動、軍事輸送の主役は艦艇であり、輸送船であった。日米両国ともに短期間で艦艇(主に消耗の激しい護衛艦艇)・輸送船の大量の建造・配備を迫られ、この工法を用いて、短期間で大量の建造が行われた。 日本においては、太平洋戦争中盤より、輸送艦〔#主要々目及特徴一覧表p.11『一等輸送艦|摘要(特徴)|敵制空下ヲ突破シ第一線ニ高速補給ヲス。大發四隻艦尾ヨリ發進可能又特型戰車ノ發進可能。多數建造ノ為模型ニヨリ艦體ヲ陸上ブロックニヨリ加工、艤装後ノ一部ヲ取附ケル方式ヲ採用セル最初ノ艦型。工数5900、期間四ヶ月』〕・海防艦・戦時標準船等の建造において用いられた。海軍艦政本部の発案のもと、三菱重工業・日本鋼管・日立造船の各社で実用され、とりわけ最も多くの海防艦を建造した日本鋼管では、艦政本部の遠山光一海軍技術中佐(後の日本鋼管副社長)、魚住順治海軍少佐(後の海上自衛隊海将補、日本鋼管顧問)と日本鋼管技師の石井利雄海軍中尉らがこの工法の研究に熱心で、海防艦の大量建造に貢献した。当時、造船会社としては二流級であった日本鋼管が、戦後、日本を代表する造船会社に飛躍するきっかけとなった。戦後はこの工法が船舶建造の主力工法として定着し、現在に至っている。 ''アメリカにおけるブロック工法の発展はリバティ船を参照のこと。'' 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ブロック工法」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Modular design 」があります。 スポンサード リンク
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