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日野 てる子(ひの てるこ、結婚後の本名:一ノ瀬 輝子 - いちのせ てるこ、1945年7月13日 - 2008年9月9日)は、日本の女性歌手。所属事務所はハブ・マーシー。 == 来歴 == 愛媛県松山市出身。 1962年、全日本ハワイアンコンテスト優勝をきっかけに1963年に上京。バッキー白片らに師事する。 1964年、ハワイアン歌手として日本グラモフォンよりデビュー。 代表曲は1965年に発表した「夏の日の想い出」。ハワイアンとは全く違う、スローテンポで哀愁のこもった曲であったが、100万枚を超えるミリオンセラーとなった。ちなみにこの曲は当初「ワン・レイニーナイト・イン・トーキョー」のシングルB面曲だったもので、ヒットにより後にA面としてジャケットを差し替え発売されている。サザンオールスターズの原由子がアルバム『東京タムレ』でカバーしている。 歌うときは長いストレートの黒髪にハイビスカスの花を1輪飾っており、その姿が彼女のトレードマークのようになった。 NHK紅白歌合戦には、1965年から3回連続出場している(詳細は下記参照)。 1969年、作曲家・編曲家の一ノ瀬義孝と結婚したのを機に1970年で一時引退。1男1女を儲け家庭に専念していたが、子育てが一段落したのを見計らって1978年に歌手として現役に復帰し、活動を続けていた。 2003年12月に肺癌と診断され、以後入退院を繰り返すようになる。その間も活動は続けられたが、2007年12月を最後に休止。 2008年(平成20年)9月9日、肺がんのため東京都杉並区の病院で死去〔日野てる子さん死去 ハワイアン歌手 共同通信 2008年9月19日閲覧〕。。葬儀・告別式は近親者だけで行われたが、同年10月20日、都内のホテルで「お別れの会」が営まれ、鈴木道明、三沢あけみ、大月みやこら約300人が出席した。また同年の第50回日本レコード大賞で特別功労賞が贈られた。 長女の一ノ瀬トニカ、長男の一ノ瀬響は、ともに音楽家として活動している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日野てる子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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