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日野俊基 : ウィキペディア日本語版
日野俊基[ひの としもと]
日野 俊基(ひの としもと、生年不詳 - 元弘2年/正慶元年6月3日1332年6月26日))は、鎌倉時代末期の廷臣。刑部卿日野種範の子。子に俊業・俊孝がいる。官位従四位下右中弁〔『尊卑分脈』〕、従三位
== 略歴 ==
文保2年(1318年)に即位した後醍醐天皇の親政に参加し、蔵人となる。後醍醐の朱子学(宋学)志向に影響を受け、鎌倉幕府討幕のための謀議に加わる。諸国を巡り反幕府勢力を募るが六波羅探題に察知され、正中元年(1324年)の正中の変日野資朝らと逮捕されるが処罰は逃れる。京都へ戻るが、元徳3年/元弘元年(1331年)に発覚した2度めの討幕計画である元弘の乱で再び捕らえられ、得宗被官諏訪左衛門尉に預けられたあと鎌倉の葛原岡で処刑された。
辞世の歌は「秋を待たで葛原岡に消える身の露のうらみや世に残るらん」
明治維新後、南朝(吉野朝廷)が正統とされると俊基は倒幕の功労者として評価されるようになり、1887年明治20年)には俊基を主祭神とする葛原岡神社神奈川県鎌倉市梶原に創建され、俊基自身にも従三位が追贈された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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